バチカンから見た世界(104) 文・宮平宏(本紙バチカン支局長)

教皇が説く「アブラハムが示した平和への道」とは、唯一の神によって創造された人類が兄弟姉妹であるという宗教的な本質を示すだけでない。今なお、解決に至らない中東和平問題の打開という、政治的な深い意味合いをも示唆している。

昨年8月、米国の仲介によってアラブ首長国連邦(UAE)とイスラエル両国間で平和条約が結ばれ、国交が正常化した。この「アブラハム合意」をトランプ米政権(当時)は、中東和平の中核にしようと試みた。しかし、同合意は、イスラーム・スンニ派の湾岸諸国と、シーア派のイランとの対立構造を根幹として、自らの陣営の強化のためになされたものだ。

これに対し、教皇は一昨年2月、UAE・アブダビで、同スンニ派最高権威機関「アズハル」(エジプト・カイロ)のアハメド・タイエブ総長と共に、「人類の友愛に関する文書」に署名している。「世界平和と共生」のためのものだ。その教皇がイラク訪問中の3月6日、シーア派の聖地ナジャフで同派の最高指導者であるアヤトラ・アリ・シスタニ師と懇談した。同派はこれまで、ISからテロを含めた激しい攻撃を受け、多くの人が犠牲となった。

当日、シスタニ師は、白衣姿の教皇を立って出迎えた。その後の懇談は45分間に及んだ。教皇は、諸宗教の共同体が互いに協力して友情を育み、敬意を持ち、対話を促進して、イラクを含む中東地域と全人類の共通善(公共の利益)のために貢献していく重要性を強調したと伝えられる。かつてISの暴力で多くの人々が困難に直面する中、シスタニ師とシーア派の共同体が「迫害されている人々を擁護するために声を上げ、人間生命の聖性とイラク国民の一致の重要性を主張したこと」に謝意を表したという。

シスタニ師は、教皇との懇談後に声明文を公表した。この中で、「国内のキリスト教徒が、他のイラク国民(ムスリム)と同じように、平和と安全のうちに生きていく権利を有する」と主張。不正義、抑圧、貧困、宗教やイデオロギーの違いによる迫害、自由の侵害、社会正義の欠如などを挙げ、「諸宗教の指導者は、人類が直面するさまざまな困難に終止符を打つため、行動を起こすように」と訴えた。

また、先進国に対して、自国の利益のみを追求せず、戦争を放棄し、理性と叡智を持つことを強調。「世界の人々が自由と尊厳性を保って生きる権利を脅かされないように」と願った。

さらに、数千年前にアブラハムが、ユーフラテス川からナイル川(エジプト)までを放浪して探し求めたという、唯一の神が示した平和への道を、現代の2人の宗教指導者がたどり続けていくことを誓い合った。