気づきを楽しむ――タイの大地で深呼吸(21) 写真・文 浦崎雅代(翻訳家)

今回も素敵なドラマがあった。ダンディーなアキサックおじさま、私の中ではそのイメージしかなかったのだが、彼の葬式本(今回はさらにコンパクトなパンフレット形式だった)によって新しい事実を知った。若かりしアキサックさんの一時出家時の集合写真に目を凝らすと、その中に、一昨年逝去されたラーマ九世(プミポン前国王)の姿があった。アキサックさんは偶然、プミポン前国王と同じ時期に、同じ寺で修行をする機会があったそうだ。これはとてもレアな写真だ。

ご存じの通り、プミポン前国王は、タイ国民から大変慕われていた。偶然とはいえ、この写真は彼らにとってはまさに家宝であり、その徳を讃(たた)えたいエピソードであろう。参列した人もほとんどこのことを知らなかったようで、多くの人が驚いていた。

掲載されているのは、若い頃の輝かしい写真ばかりではなかった。療養生活を送る晩年の写真もあった。凛としながらも、病でかなり痩せてしまったおじさまの顔。切ないけれど、生老病死の道のりをしっかりと歩まれた彼の足跡を、私ははっきりと感じ取った。

葬儀に参列する人は、故人とのさまざまな縁があって参列する。幼い頃から慣れ親しんだ親友もいれば、亡くなる前日に知り合った職場の人という場合だってあるだろう。だから誰もが、故人の一面しか知らず、断片的な印象や記憶しか持っていないのだ。しかし、葬式本によって、自分と知り合う以前や交流がなかった時期に、故人がどのような体験をして、何を大切に生きていたかを知ることができる。それは、残された人にとって、今を生きるための学びとなる。

葬儀はその人の「死」だけに触れるのではない。「人生」そのものに触れられる機会だ。どのような形で死を迎えたにしろ、今世の物語を紡いでこられた善き友から学ぶことの大切さ――手元にある葬式本が、それをいつも私に教えてくれている。

プロフィル

うらさき・まさよ 翻訳家。1972年、沖縄県生まれ。東京工業大学大学院博士課程修了。大学在学中からタイ仏教や開発僧について研究し、その後タイのチュラロンコン大学に留学した。現在はタイ東北部ナコンラーチャシーマー県でタイ人の夫と息子の3人で生活している。note(https://note.mu/urasakimasayo)にて毎朝タイ仏教の説法を翻訳し発信している。