気づきを楽しむ――タイの大地で深呼吸(49) 写真・文 浦崎雅代(翻訳家)

恐れ、怒り、放逸――心の三重苦も備えあれば、はまり込みなし

新型コロナウイルスの感染を予防するため、「ニューノーマル」(新しい日常)と呼ばれる公共の場での振る舞いが、タイでも定着してきている。主には、手洗いの励行、マスクの着用、他人とは2メートル程度の距離を取ることである。もちろんこれだけでは、感染を完全には防げるとは限らない。すでに流行は長期にわたっており、今後どのような対策を講じるのか――これは国単位でも、地域や家族、個人においても、難しい選択が迫られると言えるだろう。

私が住むウィリヤダンマ・アシュラム(瞑想=めいそう=修行場)も、もちろん感染対策が取られている。ここでは現在、お坊さまが6人、在家修行者が14人、時期によって人数の増減はあるが、20人前後の仲間がコミュニティーとしての機能を果たしながら修行生活を行っている。今年に入り、タイでも感染者が再び増え始め、何度も全員参加の会議が開かれてきた。今回はこの会議での学びを紹介していきたい。

会議は、約10日に1回のペースで開かれ、アシュラム内での具体的な感染対策を検討する。コロナ以前は定期的に瞑想会が行われていたが、非常事態令の発令で現在は自粛中だ。宿泊を伴わない外部からの訪問者にどう対応するか、また、お坊さんたちは毎朝、村へ托鉢(たくはつ)に行くのが通例だが、今は行くべきか行かざるべきか、バイキング形式で食事を取る方法をそのまま続けるか否かなどについて話し合う。1回の会議に2、3時間を費やすことも少なくない。

リーダー僧のスティサート師は、刻々と伝えられるコロナ関連の情報をチェックして皆に共有し、参加者全員の意見を聞く。ここにいる修行者には70~80代の高齢者もいるし、30代の若いお坊さんもいるし、60代で元気に見えるが、がんの治療を経験した人もいる。同じコミュニティーにいても感染のリスクは同じではないし、考え方も微妙に違う。各人の立場を考慮しながら、一つのコミュニティーとして対策を進めていくという舵(かじ)取りが必要な場面だ。ある時、スティサート師が説法でこのコロナ禍での心の苦しみについて語る場面があった。

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