共生へ――現代に伝える神道のこころ(3) 写真・文 藤本頼生(國學院大學神道文化学部准教授)

『日本書紀』に登場する筑波山。筑波山神社は、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊を主祭神として祀り、古くから霊山として信仰を集めてきた

天孫降臨の際に天照大神が授けた「三大神勅」

さて、記紀の内容の差異ばかりについて説明するのではなく、『日本書紀』の神話が指し示す考え方の一端についても述べておこう。『日本書紀』で著名なものの一つとして、天孫降臨(てんそんこうりん)が行われる際に天照大神がお授けになったいわゆる「三大神勅(しんちょく)」がある。「天壌無窮(てんじょうむきゅう)の神勅」「斎庭稲穂(ゆにわのいなほ)の神勅」「宝鏡奉斎(ほうきょうほうさい)の神勅」と称されるものだ。

まず、「天壌無窮の神勅」であるが、「葦原(あしはら)の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂の国は、是、吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地なり。爾皇孫(いましすめみま)、就(い)でまして治(しら)せ。行矣(さきくませ)。寶祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、當(まさ)に天壌(あめつち)と窮(きわま)り無けむ」というフレーズは、我が国の、国としての秩序の根本は、高天原から天下った神の子孫である天皇のもとに人々がまとまり、皇位とともに栄えてゆくことであり、地上の世界に一つの秩序をもたらしたということでもある。

次に「斎庭稲穂の神勅」。「吾が高天原に所御(きこしめ)す斎庭の穂を以て、亦(また)吾が児に御(まか)せまつるべし」とは、皇孫に天上の田んぼにある稲を授け、これを子孫代々、大事に育てていきなさいというものだ。我が国の人々の食の中心は米であり、米作りが非常に大事であるということでもある。さらに敷衍(ふえん)すると、米以外にもそれぞれの地場の農業や産業をしっかりとやっていくことが、我が国がずっと続いていく基礎であるということでもあり、人々の生活の根幹を支える農業や漁業、林業、工業を大事にしない国は、不測の事態に脆(もろ)く、時代や環境の変化により自立性が弱まり、国が衰退してしまうということを示していると考える。この神勅はまさに、コロナ禍の中でグローバルサプライチェーンが脆くも崩れた我が国の様相に警鐘を鳴らすものではなかろうか。この神勅は単なる稲を育ててゆくことの大切さを説くものであるが、それ以外にも、ある程度、自分たちでモノを作り、我が身を立てていくことの大事さを示していると小生は考えている。

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