清水寺に伝わる「おもてなし」の心(10) 写真・文 大西英玄(北法相宗音羽山清水寺執事補)

純なる土壌に神仏の働き

その他にも当山では、複数の国内外のNPO法人、福祉、教育、伝統文化等への支援を展開している。これらの社会活動に積極的であってもなくても、伽藍さえきれいであれば、迎える心構えがそれなりにあれば、日々参拝者を迎えることにおいては、特に違いはないのではと思えなくもない。事前に用意され、準備が整えられた場面においては、それだけで乗り切れるかもしれない。しかし、とっさの時、あるいは用意された台本通り進まない時には、こうした「行動の純度」は必ずどこかで現れる。

水面に映る清水寺境内の鮮やかな紅葉

祈りの環境、迎える心、そして行動のそれぞれの純度を高める――その純なる土壌の上に必ず神仏の働きがあるのではなかろうか。その働きは一見すると良いことばかりではないかもしれない。しかしそれは、自らの信と行が足りていないだけと自省している。私が尊敬する鎌倉円覚寺の横田南嶺猊下と、大峯千日回峰行を満行された塩沼亮潤大阿闍梨(だいあじゃり)の対談書『今ここをどう生きるか』(春秋社)での大阿闍梨のお言葉を結びに引用させて頂く。

「笠に落ちる雨音を聞いた時に、昨日まで流した涙が雨となり、悟れ悟れと励ます雨音。人生において、流した涙が川となって大海原に流れ注ぎ、それが雲となり雨となり、また自分の網代笠に落ちてくる。流した涙が自分を励ましてくれる。大自然は全てが繋がっている、まさに信の世界なのでしょうね」

これほど尊い神仏の働きを我々の不純で滞らせることが少しでもないよう、現世相での勤めに精進していきたい。
(写真は全て、筆者提供)

プロフィル

おおにし・えいげん 1978年、京都府生まれ。2000年に関西大学社会学部卒業後、米国に留学。高野山での加行を経て、05年に清水寺に帰山し、僧職を勤める。13年に成就院住職に就任。14年に世界宗教者平和会議(WCRP/RfP)日本委員会青年部会幹事、19年に同部会副幹事長に就いた。現在、清水寺の執事補として、山内外の法務を勤める。日々の仏事とともに、大衆庶民信仰の入口を構築、観光客と仏様の橋渡しを命題とし、開かれた寺としての可能性を模索している。