心の悠遠――現代社会と瞑想(16)最終回 写真・文 松原正樹(臨済宗妙心寺派佛母寺住職)

心の杖言葉

最後の習慣として、「一期一会」を観ることだ。われわれは、常に出会う全ての存在(人、もの、空間、時間など)に対して、一期一会で接するべきである。この心がけが、われわれに「今、一瞬に生かされている」ことを気づかせてくれる。このことは、ブッダが「大海の一針」と言われた、われわれの「与えられた命」への感謝と、「和敬」「共感」「つながり」の気持ちを積極的に育んでくれることにつながる。

ここに紹介した「平常心の三つの習慣」は、究極のところでは何も禅的なものではないし、仏教的なものでもない。むしろ、人間がより良い社会と世界の中でお互いに生きていく上での、倫理的実践の基本ではないかと思う。仏教がそれらを「仏性」といい、「かたよらない心、こだわらない心、とらわれない心」といい、「一期一会」と呼ぶだけのことである。言い方を変えれば、これらは全て、人類の平和に向けての人類が持つ最大公約数になるだろう。

このような気概を持って、私は今後も、日本とアメリカの仏教伝道の懸け橋となり続けていく旅人でありたいと思う。今、ふと外を見ると、雪が深々と降っている。果たしてこの雪はどこに落ちていくのだろうか? まさに「好雪片片不落別處」(好雪片片別処に落ちず)である。つまり「無造作に舞い落ちているように見える雪も、実は落ちるべき所に落ちている」ということである。この雪もまた旅人である。この雪のように、何か大きな流れ、つまり縁に従って、仏教伝道と世界平和という目標に向かって、一歩一歩、旅していこう。一度しかない人生を旅していこう。マチャードの「旅人よ、道はない。歩くことで道は出来る」を「心の杖言葉」として。

プロフィル

まつばら・まさき 1973年、東京都生まれ。『般若心経入門』(祥伝社黄金文庫)の著者で名僧の松原泰道師を祖父に、松原哲明師を父に持つ。現在、米・コーネル大学東アジア研究所研究員、ブラウン大学瞑想学研究員を務める。千葉・富津市の臨済宗妙心寺派佛母寺住職。米国と日本を行き来しながら、国内外への仏教伝道活動を広く実施している。著書に『心配事がスッと消える禅の習慣』(アスコム)。