心の悠遠――現代社会と瞑想(14) 写真・文 松原正樹(臨済宗妙心寺派佛母寺住職)

人間、皆、一緒

坐禅会の終了後、まだ真剣に質疑応答の話の続きをしている姿、涙を流している姿、ハグをしている人たちの姿を目の当たりにして、救いを求める心、つながり合う心、そして、慈しみの心に国境はないのだと思わざるを得なかった。文化や言語、習慣、あるいは人種や民族が異なり、そのような異質な文化同士であっても、皆、人間である。考えること、思うこと、感じることは同じだ。大西和尚の真剣なまなざしと優しい語り口、小堀氏の心のこもったおはぎ、渡辺氏が心を込めてたてた抹茶の一杯が、異質な文化同士の対面の中で接点をつくったのである。むしろ、接点となったのである。その接点には「つながり合う心」と「慈しみの心」があった。

アメリカで禅の活動をしていて、不思議と一度も“アウェー感”を感じたことがない。自分の中にはアメリカと日本という違いも感じなければ、アメリカ人と日本人という壁もない。皆、同じ人間である。精神的にも、感情的にも、肉体的にも同じ人間である。皆、同じように悩み、苦しむ。このレンズを持つことによって、他者との間のバリアーが取り外されるのである。

苦や悩みはその文字のごとくであるけれども、しかし、それらの本当の役割は、私たちを悩み苦しませ、悲しませることではない。むしろ、「悩んだって、苦しんだって、悲しんだっていいんだよ」と、互いに声を掛け合って、手を差し伸べることの必要性を教えてくれる。

よく耳を澄ませば、こう囁(ささや)いているのがきっと聞こえてくるであろう――「大丈夫、一人じゃない」と。刻一刻と時間が過ぎていく中で、社会と時代のニーズに合わせて常に現在進行形の坐禅会をニューヨークで続けていきたいと願う。「人間、皆、一緒」「大丈夫、一人じゃない」というメッセージを送りながら。

プロフィル

まつばら・まさき 1973年、東京都生まれ。『般若心経入門』(祥伝社黄金文庫)の著者で名僧の松原泰道師を祖父に、松原哲明師を父に持つ。現在、米・コーネル大学東アジア研究所研究員、ブラウン大学瞑想学研究員を務める。千葉・富津市の臨済宗妙心寺派佛母寺住職。米国と日本を行き来しながら、国内外への仏教伝道活動を広く実施している。著書に『心配事がスッと消える禅の習慣』(アスコム)。

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