心の悠遠――現代社会と瞑想(13) 写真・文 松原正樹(臨済宗妙心寺派佛母寺住職)
フロストの「選ばれざる道」
私が好きな、アメリカの詩人ロバート・フロスト(1874―1963)の「選ばれざる道」という詩を紹介しましょう。
黄色い森の中で道がふたつに分かれていた
残念だが、私はひとりの旅人、両方の道を同時に選ぶことはできない
長い間そこに立ち止まって、
見える限り遠くまで一方の道の先を眺めると、
その道の先は折れ曲がり、草むらの中に消えている
そこでもう一方の道を選んだ
同じようだけれど、こちらのほうがよさそうだ
なぜなら、より草が深く茂って踏みごたえがありそうだから
しかしその点では、そこにも通った跡があり
実際は二つの道は同じようなものだったけれど
そして、あの朝、どちらの道も同じように
まだ一歩も踏まれていない落ち葉の中に埋まっていた
そうだ、最初の道は、また今度、行くことにしよう!
けれど、道がまた別の道へとつながっていくことを知る私は
再びそこに戻ってはこられないだろうと思っていた
今からずっとずっとあと、どこかで
私はため息とともに、こう話すだろう
森の中で道が二つに分かれていて、そして私は――
私は人があまり通っていないほうの道を選んだ
そして、それがすべてを変えてしまったのだ、と
(筆者による和訳)
残念だが、私はひとりの旅人、両方の道を同時に選ぶことはできない
長い間そこに立ち止まって、
見える限り遠くまで一方の道の先を眺めると、
その道の先は折れ曲がり、草むらの中に消えている
そこでもう一方の道を選んだ
同じようだけれど、こちらのほうがよさそうだ
なぜなら、より草が深く茂って踏みごたえがありそうだから
しかしその点では、そこにも通った跡があり
実際は二つの道は同じようなものだったけれど
そして、あの朝、どちらの道も同じように
まだ一歩も踏まれていない落ち葉の中に埋まっていた
そうだ、最初の道は、また今度、行くことにしよう!
けれど、道がまた別の道へとつながっていくことを知る私は
再びそこに戻ってはこられないだろうと思っていた
今からずっとずっとあと、どこかで
私はため息とともに、こう話すだろう
森の中で道が二つに分かれていて、そして私は――
私は人があまり通っていないほうの道を選んだ
そして、それがすべてを変えてしまったのだ、と
(筆者による和訳)
私たちは一つの選択に失敗した時、選ばなかった別の選択のことを考えがちになる。また、選択する前に、どちらを選べば良いかといろいろ考える。これが人生であればなおさらのことだ。しかし、実際には「選ばなかった『もし』の選択肢」などというものは、考え始めれば終わりのない堂々巡りで、それこそ妄想のようなものである。人生は「今」の積み重ねであり、「こうしていれば、ああなっていたかも」という道は、選ばなかったシナリオが戻ってくるわけではないし、考えても仕方のないことだ。