【復元納棺師・笹原留似子さん】死者と遺族をつなぐ 大切な人との最後の時間をより尊いものに

生まれた者は必ず死ぬ。そう分かっていても私たちが自分や愛する人の死の場面について想像することは難しい。そんな中、人の死と真摯(しんし)に向き合い続ける人たちがいる。映画『おくりびと』で広く知られるようになった死への旅立ちを手伝う納棺師だ。笹原留似子さんは、納棺師の中でも、交通事故や災害などで亡くなった故人の生前のおもかげを探し、できる限り元の状態に戻す技術を持つ「復元納棺師」として14年間故人と遺族に寄り添ってきた。大切な人との別れ、記憶に残るあの人の顔――。死者と遺族をつなぐ“復元”とは何か、聞いた。

悲しむ家族に寄り添い 復元により生前の姿が

――「復元納棺師」とはどのようなことをされるのですか?

実は、この「復元納棺師」という名称は、以前、納棺をお手伝いさせて頂いたご遺族が付けてくださったものなのです。自殺や事故、災害で亡くなった場合、ご遺体の損傷が激しく、家族と対面せずに火葬されることもあります。それでは、遺族は死という事実をうまく受けとめられません。遺族がしっかりと故人を見送れるよう、できるだけ生前と同じ顔、ほほ笑みを浮かべた表情に戻すのが復元納棺師の役目です。

最初は故人の笑いじわを指でなでながら、私自身の体温が伝わるようマッサージをします。そうすると、ご遺体の硬直が解け、肌の血色が良くなる。その上で死化粧を行うと、安らかに眠っているような表情になります。顔に傷や陥没がある場合は、脱脂綿や特殊メイクを使って、生前の状態に近づけます。

――「復元」ということを始めたきっかけは?

14年前のある日、納棺師として自宅に駆けつけると、「お父さんに会いたい。お父さんは帰ってくる」と泣く子供たちがいました。父親を事故で亡くしたのです。棺(ひつぎ)に入れられたご遺体は損傷が激しく、子供たちは父親と対面させてもらえませんでした。しかし、子供たちは父親が帰ってくることを信じています。「会わせてあげたい」。その思いで処置に取り掛かりました。これが私の初めての復元でした。

苦悶(くもん)の表情を浮かべた故人の姿を目にし、大好きだったあの人かどうかも分からない。「こんなのお父さんじゃない」「誰か元に戻して」「もう一度だけ会いたい」――そんな遺族の声に突き動かされ、私はこれまで復元を続けてきました。変わり果てた姿のままでは、家族は悲しみと動揺から故人としっかり向き合えません。しかし、復元することによって、目の前の死を受け入れることができるようになります。

――最近では、「参加型納棺」というのもあるそうですが。

復元によって本来の姿に戻し、安心して対面できる環境を整えます。その上で、遺族の要望を聞きながら一緒に納棺を進めるのが「参加型納棺」です。

例えば、お子さんやお孫さんと一緒に死化粧や硬直解きをしたり、仏衣を整えたりします。「最後に何かしてあげられた」ということが忘れられない思い出になるようです。さらに、手を握ったり、顔に触れたりすることで、故人へ愛情を伝える時間ともなります。

大切な人を失った時は、さまざまな感情が湧き起こるものです。その感情の一つに「後悔」があります。自分の手で故人を見送る中で、その感情を見つめ、<それほどに、この人が自分にとって大切な人だったのだ>と気づいていくのです。

現代人は、誰もがせわしなく生きています。寂しさを受けとめたり、紛らわせたりする時間もない。いつか訪れる死に、きちんと向き合う機会を失っているのです。私たち納棺師は、残された人たちが、死者と向き合うきっかけづくりのお手伝いをさせて頂き、大切な別れがすてきな時間になるように努めています。

誰にも必ず訪れる別れ 「死」と向き合い対話を

――大切な人の死を受けとめることは難しいですね。

本当にそうだと思います。自分を責め、死を受け入れられずに閉じこもってしまうこともあります。けれどそれは、決して悪いことではありません。

例えば、東日本大震災では、多くの人が津波によって命を落としました。子を失った親は、助けられなかった自分を今も責め続けています。ですが、自分を責めるということは相手を深く思っている証しです。愛しているから、大切だからこそ湧いてくる苦しい気持ちを大事にして、後悔や自責の念もひっくるめて自分と相手の関係性を見つめ直すことが、再び立ち上がり、前進する力につながるのです。

「誰も悪くない。その人がいてくれたからこそ、これまでの楽しかった時間があり、今があるのです。故人も同じ思いではないですか」と、私は納棺の時間にお伝えさせて頂きます。

私が代表を務める株式会社「桜」(岩手県)には、遺族の方々が遊びに訪れます。皆さん、お茶を飲みながら、故人の思い出や自分の抱えるどうにもできない気持ちなどを話して帰られます。

中には、大切な人を失った悲しみから、他者がうらやましく見え、自分だけが不幸だという思いを吐露していく人もいます。私はそんな思いを否定しません。それでいいんです。誰かに話して言葉にすることで、大切な人の死に向き合うための入り口に立てると思うからです。

――現代社会は「生」と「死」が身近に感じられないように思うのですが。

今の日本は、何にでも保証を求める社会です。生死にも保証を求めようとする。しかし、生にも死にも保証はありません。なので、死が立ちはだかると、どうしていいか分からなくなり、パニックになってしまう。「もう何もない。もうだめだ」と全てをあきらめてしまうのです。

長年、死と向き合う現場で働いてきましたが、多くのご縁を通して「死」というものが私に教えてくれたのは、「明日、生きている保証はないよ」という、とてもシンプルなメッセージでした。だからこそ、「今」という時間は二度と来ない価値のあるものだと私は思います。

「死」は決して不幸なものではありません。大切な人を失っても、その人が残してくれたこれまでの関係が、自分の今を支えてくれます。お祝い事は人生の節目ですが、誰かの死もまた人生の節目です。それは、故人の節目ではなく、残された人々の節目となります。つらく苦しいけれども、相手との関係を見つめ直し、自分と対話することで、これまで見落としてきた大切なものに気づくことができます。人の死を経験することで、他者に優しくなる。生きていることが当たり前ではなくなり、一日一日を大切に過ごせるようになるのではないでしょうか。

プロフィル

ささはら・るいこ 1972年、北海道生まれ。株式会社「桜」代表取締役。これまでに復元納棺師として多くの人々を見送ってきた。全国で「いのちの授業」や技術講習会の講師としても活躍中。「シチズン・オブ・ザ・イヤー」、社会貢献支援財団社会貢献賞などを受賞。著書に『おもかげ復元師』『おもかげ復元師の震災絵日記』(共にポプラ社)など。