年頭法話 立正佼成会会長 庭野日鑛
自立した信仰へ
教団創立八十周年の節目 礎を築いた先達のご恩に報いる決意
あけまして、おめでとうございます。
昨年、私は、年次方針を通して、『「有り難し(ありがたい)」「感謝(ありがとう)」のこころを、日常生活の中で表現し、実践してまいりましょう』と申し上げました。このことを、大勢の信者さんが、自分の「テーマ」にされ、職場や地域、家庭で実践してこられたことを、教会長さんはじめさまざまな方からお聞きしました。また大聖堂の体験説法からも、うかがい知ることができました。
『環境』をテーマに バチカンで第6回「行動の倫理」会議
ローマ教皇庁科学アカデミー、同社会科学アカデミー、世界宗教者平和会議(WCRP/RfP)国際委員会による第6回「持続可能で不可欠な開発に向けた行動の倫理」会議(通称=「行動の倫理」会議)が12月14、15の両日、バチカン庭園内「ピオ四世のカッシーナ」で行われた。
佼成学園高アメフット部 クリスマスボウル連覇 2度目の日本一に
高校アメリカンフットボールの日本一を決める「第48回全国高等学校選手権大会」の決勝戦(クリスマスボウル)が12月23日、神奈川・富士通スタジアム川崎で開催された。連覇を目指す佼成学園高校「ロータス」(関東代表)は、19年ぶりに決勝へ進出した関西大学第一高校「カイザーズ」(関西代表)と対戦。36対16で勝利し、同大会の連覇を果たした。
自死・自殺を仏教の視点から考える 仏教学者・佐々木閑氏
仏教には「創造主」がいません。私たちは偶然、輪廻(りんね)の世界に生まれた生物であり、全てが苦しみであるという世界で悩みながら生きる運命を背負っています。これは、生まれながらに、誰かから生きる意味を授かったわけではないということです。同時に、生きる意味を自分自身で見つけるしかないということでもあります。ですから、自分の人生が誰かにつくられたものでない以上、私たちは生きることに負い目を感じる必要はありません。生きる権利はありますが、生きる義務を負わされているわけではないのです。
【速報】 佼成学園高アメフット部がクリスマスボウルを連覇 2度目の全国大会制覇
「第48回全国高等学校選手権大会」の決勝戦(クリスマスボウル)が12月23日、神奈川・富士通スタジアム川崎で行われ、佼成学園高校アメリカンフットボール部「ロータス」(関東代表)が関西大学第一高等学校「カイザーズ」(関西代表)に36対16で勝利し、同大会連覇を達成した。
生殖補助医療の倫理的課題 日宗連が「第8回宗教と生命倫理シンポジウム」
『生殖技術――「自然」から新しい倫理の模索へ』をテーマに、日本宗教連盟(日宗連)による「第8回宗教と生命倫理シンポジウム」が12月11日、東京・港区の神道大教院で開催された。日宗連の協賛5団体(教派神道連合会、日本キリスト教連合会、全日本仏教会、神社本庁、新日本宗教団体連合会)などから約90人が参加した。
誰も自殺に追い込まれることのない社会へ――地域のつながりが命を守る NPO法人「自殺対策支援センター ライフリンク」代表・清水康之氏
自殺は亡くなり方が衝撃的であるため、最期ばかりが注目されてしまいます。しかし、特別な人が特別な問題を抱えて、突然に自らの命を絶つのではありません。NPO法人「自殺対策支援センター ライフリンク」では、自殺で亡くなった方のご遺族から聴き取り調査をして、自殺の実態について分析しています。この結果から、人が自殺に至る、追い込まれるプロセスには一定の規則性があること、自殺で亡くなった方は平均四つの問題を抱えていたことが分かりました。
教団行事などで手話通訳を担う会員有志のサークル「しゅわっち」 発足から20年
立正佼成会東京教区の手話サークル「しゅわっち」が今年、活動開始から20年の節目を迎えた。同教区の会員ボランティアにより発足して以降、現在まで、仏の教えを求める聴覚障がい者のために行動する姿勢を貫く。教団行事や教会式典などで行う手話通訳は、多くの人に喜ばれている。
バチカンから見た世界(44) 文・宮平宏(本紙バチカン支局長)
法句経と聖フランシスコに示された共通の基盤
ミャンマー訪問中のローマ教皇フランシスコは11月19日、同国の国家サンガ大長老会議の指導者と会見した。席上、スピーチを行った教皇は、あらゆるものが関係して存在していることを教える仏教の諸法無我に照らして、人間関係の一致を実現していくには、あらゆる無理解、不寛容、偏見、憎悪を克服していくことが必要と強調した。その上で、「怒らないことによって怒りにうち勝て。善いことによって悪いことにうち勝て。わかち合うことによって物惜しみにうち勝て。真実によって虚言の人にうち勝て」※という法句経の一節と、「主よ、私を平和の道具となさしめてください。憎しみがあるところに愛を、争いがあるところに許しを(中略)、闇あるところに光を、悲しみあるところに喜びを」というキリスト教の聖フランシスコの言葉を引用。「こうした叡智(えいち)が、文化、民族、宗教的確信の違いによって傷ついた人々を癒やし、忍耐と理解を育むための努力に息吹を与え続けていくように」と願った。