気づきを楽しむ――タイの大地で深呼吸(11) 文 浦崎雅代(翻訳家)

精いっぱいやる、でもシリアスにならない

前回お伝えしたタンマヤートラ(法の巡礼)。8日間で約100キロの、歩く瞑想(めいそう)だ。私の家族も無事に完歩した。3歳の息子は夫に抱かれる時間が多かったけれど、それもまたよし。夫は「辛抱強さを身につけるぞ!」とあらかじめ語っていたので、体重17キロの息子を抱えながら楽しそうに歩いていた。

私は3人分の荷物を背負って歩いた。荷物はできるだけ減らしたつもりだが、それでも距離が長いと肩や腰に疲れがくる。しかし本当の挑戦はここから。「体に苦しみが生じても、心まで苦しまない」ことへの挑戦だ。

タンマヤートラの目的は、自然環境の大切さを学ぶと同時に、自分自身もまた自然の一部であることを感じ、そこから法(タンマ)を学ぶことだ。苦しみが生じたら、その苦しみに気づく。勝手に思考が生じたら、いち早く「今、ここ」に意識を戻すのだ。はた目には、寡黙に淡々と歩みを進めているように見えるだろう。だが、体と心の状態に気づきを間に合わせる挑戦は、瞬間瞬間に続く。

実は今回、もう一つの挑戦をした。それは朝晩の読経後に約30分間行われる、タイ語による説法の同時通訳だ。今回は8人の日本人が参加しており、彼らにタンマヤートラのリーダーであるパイサーン師の説法を、ぜひ生で味わってもらいたかったのだ。