【海獣学者・田島木綿子さん】海の哺乳類が教えてくれた人間との共存の在り方

クジラ類が海岸に打ち上げられる現象を「ストランディング」と呼ぶ。日本国内では、年間300件近くが報告されている。原因は諸説あるが、人間社会の発展も一部に関与しており、年々その割合は増加している。これまで20年以上、国立科学博物館(以下、科博)の研究者として海の哺乳類の解剖調査に携わってきた田島木綿子さんに、海獣の魅力、研究を通じて学んだこと、人間との共存の在り方について聞いた。

「標本収集」のためだけでなく 未来を見据え、共生の道探る

――クジラ類を研究対象に選んだのはどうしてですか

きっかけは、シャチとの出会いです。獣医師になるため大学に進んだのですが、進路に迷い、手に取った本が『オルカ 海の王シャチと風の物語』(水口博也著)でした。そこに描かれた野生のシャチに魅了され、カナダ・バンクーバーを訪ねました。そこで目にした野生のシャチの完璧なフォルムと白黒が織りなす見事な色合いにノックダウンされ、研究者として生きていこうと決めました。

シャチは、どう猛な印象を抱かれがちですが、思いやりにあふれたコミュニティーを構築します。

2005年冬、北海道・羅臼(らうす)町の沿岸で、12頭のシャチが流氷に閉じ込められる案件がありました。研究のために標本を作る必要があり、科博の研究員として私も駆けつけました。息絶えた9頭の個体には子どもも含まれていました。地元の人に話を聞くと、流氷から逃れ出た大人のシャチが、しばらくして子どもの元へ帰ってきたというのです。おそらく、閉じ込められたままの子どもの鳴き声を聞いた親が戻ってきたのでしょう。海の哺乳類には、見た目とは裏腹に底知れない優しさがあるのです。

――博物館の研究員として、どんな仕事をしているのですか

「標本収集」「研究」「教育普及」の三つが、科博の柱です。根幹となるのが「標本収集」。海の哺乳類の場合、ストランディング個体から多種多様な標本や研究資料、情報を得ることができます。

ある動物の特徴を理解するためには、少なくとも30個体を観察する必要があるといわれています。肋骨(ろっこつ)や歯の数、頭蓋の形、子どもを産む年齢、寿命、成体の体長などの基本情報をはじめ生態や他の動物との共通点、違いを把握する上でも標本は多ければ多いほど、情報の正確さと精度が上がります。そのためにも、ストランディングの原因や個体の死因を明らかにするとともに、100年、200年先を見据えた標本を作製し、博物館に保管することが重要です。

――なぜ、クジラ類は海岸に打ち上げられるのでしょうか

ストランディングとは、何らかの理由で海の哺乳類が海岸に打ち上げられ、自力ではどうすることもできない状態を表します。長年、世界の海獣研究者がその謎を探っている状況の中、分かってきたこともあります。

一つは、病気です。人間が風邪をひくのと同様に、海の哺乳類も感染症やがんを患います。重い病気にかかったクジラ類が海岸に打ち上げられ、死に至るという事例は世界でも珍しくありません。

二つ目が、餌となる生物を追っているうちに浅瀬に入り込み、座礁する事例。彼らは、海中では浮力によって巨体を支えられても、陸に上がると重力がかかり身動きできなくなってしまうのです。ほかにも海流に乗って移動する際、誤って沿岸に漂着してしまう事例や、軍事演習ソナー、海流の変化、餌の枯渇、船との衝突なども原因として報告されています。

死亡個体は、死因を探るために外貌を観察した後、内臓を調査します。外貌観察では、体や首、尾ビレに漁網痕や船との衝突による傷、サメなどの外敵にかまれた痕跡はないかチェックします。さらに目や口の状態、鼻の穴(噴気孔)や肛門の粘液の色、においから感染症の有無を確認します。

外貌観察から死因が特定できた場合でも、内臓に病気があった結果、体力が衰えて外敵に襲われたり漁網に絡んだりした可能性もあり、総合的に判断することが大切です。彼らがどう生き、どう死んでいったのかを理解できた時、人間社会との共生の道を探るヒントが得られることがあります。

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