「時代」の声を伝えて――文学がとらえた80年(11) 文・黒古一夫(文芸評論家)

「豊かさ」の裏で進行していたものは?

1950年代の半ばから順調に高度経済成長を続け、「豊かさ」を追求してきた日本は、73年の石油危機(オイルショック)から91年に起こったバブル経済の崩壊まで、20年近く「安定成長期」を過ごすことになる。その安定成長期の象徴的な出来事の一つに、「人とカネとモノを巨大都市から地方に逆流させる“地方分散”」こそが、日本社会の進むべき方向だとした『日本列島改造論』(72年)を著した田中角栄が、この書の刊行直後の7月に内閣総理大臣(自民党総裁)になる、ということがあった。

では、後に「金権政治」の見本のように言われた、「今太閤」こと田中角栄の政治の根幹を形成していた『日本列島改造論』の主張「人とカネとモノを巨大都市から地方に逆流させる“地方分散”」とは、具体的にはどのようなものであったのか。一番分かりやすいのは、「日本列島改造論」によって日本の産業構造の根幹が変わったことである。つまり、65年には73%であった食料自給率(カロリーベース)が、80年代半ば以降に40%前後になり、現在までそれが続いていることが如実に語るように、日本の産業構造が農業・漁業・林業といった第一次産業中心から、工業・商業・サービス業・情報通信(IT)産業といった第二次・第三次産業へと急速に転換していったということである。

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