平和こそ生活の原点 日本国憲法Q&A(7)――宗教団体が信教の自由を守ろうとするのはなぜ?

それは、「信教の自由」それ自体が、独立して存在するものではないからです。「信教の自由」は、布教という言論の自由、法を説くという表現の自由、サンガ(教えの仲間)の集会の自由、教団を設立するという結社の自由などが保障されて初めて実現します。逆に、「信教の自由」が保障されなければ、言論の自由、表現の自由、集会の自由、結社の自由も成り立たないのです。

「信教の自由」が重要であるのは、宗教団体の自己防衛を認めるからではありません。信仰者も信仰を持たない人も含め、全ての人の基本的人権の基盤だからなのです。

戦前の大日本帝国憲法でも「信教の自由」が認められていました。しかし、それは「安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於イテ」という条件がつけられていました。

事実、神社神道は、国教なみに手厚く保護されました。特定の神社には国から財政上の補助が与えられ、国民には「臣民の義務」として国家神道の信仰や儀礼儀式などが強制されました。

一方、その時々の政治権力の考えや政策に従わない宗教者や宗教団体は、「安寧秩序を妨げる」という名目で弾圧されました。国家神道体制の下で、政府によって国民や宗教団体は厳しく統制され、政治権力の意向に従うしかないというのが実情だったのです。

そうしたことは、今では考えられないことかもしれません。しかし、第二次世界大戦終結までの日本はそうだったのです。「信教の自由」「思想・良心の自由」などが否定されたその終着駅が、日中戦争であり、太平洋戦争であったことを忘れてはなりません。

完全な「信教の自由」こそ、平和のための必須条件なのです。