平和こそ生活の原点 日本国憲法Q&A(9)――日本国憲法は、教育をどう考えている?

第二次世界大戦終戦後の1947年、日本国憲法は施行されました。憲法は「法の中の法」「決まりの中の決まり」ともいわれるもので、私たち一人ひとりの自由や権利を守り、その人生や生活を支えています。

憲法とはどのようなものなのか、日本国憲法はいのちの尊さ、平和、信仰といったことをどのように考えているのか、どうして憲法の改正には国民投票が必要なのか――。憲法についてさまざまな議論が起きている中、私たちはこうしたことをしっかりと学んでおく必要があります。今回は、人間の成長に欠かせない教育を取り上げ、憲法が私たちの生活にどのような役割を果たしているかを考えます。

Q9 日本国憲法は、教育についてどのように考えているのでしょうか?

日本国憲法は、すべての国民に、その能力に応じた教育を受ける権利を保障しています(26条1項)。しかし、今日においても、残念ながら十分な教育を受けられない人々がいることも事実です。また他方では、学校や地域で子どもたちの非行や犯罪が問題となるたびに、教育荒廃や教育の失敗が語られてきました。こうした中、「教育の充実のために憲法を改正すべき」という議論がなされることがあります。もちろん、教育をさらに充実させることに反対の人はいないと思います。問題は、どのようにして、それを実現するかということでしょう。

戦後の教育は、一人ひとりの「人格の完成」(教育基本法1条)を目的にしてきました。そして、その教育の力によって日本国憲法の「民主的で文化的な日本をつくり、世界の平和とすべての人々の幸せ(人類の福祉)に貢献しよう」という願いを実現しようとしてきたものです。このようにしてみると、現在指摘されている多くの教育問題は、日本国憲法の理念を実現しきれなかったことに主な原因があると言えるのではないでしょうか。

時折聞かれる「教育の荒廃は、日本国憲法が個人主義を定めていることに原因がある」という意見には、大きな誤解があると思います。日本国憲法が定めているのは「自分さえよければ何でもよい」という利己主義ではなく、一人ひとりのいのちの尊厳こそが大切であるという意味での個人主義です。自分を本当に大切と思うならば、他者をも大切にしなければならない――自分と同じように他者のいのちの尊厳を大切にすることこそ、この個人主義の中身なのです。憲法が、画一的な教育ではなく「その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利」を保障していることは、その現れです。

そこで、私たちは、教育の充実のために二つのことを考える必要があると思います。一つは、憲法の改正が必要な問題、あるいはその改正で解決できる問題と解決できない問題を見極めることです。例えば、大学までの授業料の無償化は、法律を改正すれば実現でき、憲法を改正する必要はありません。もちろん、憲法を改正して無償の教育の幅を拡大することは検討に値するテーマですが、その議論の間に学びの機会が失われている子どもたちを思えば、憲法改正を待つまでもなく実現すべき課題といえるでしょう。

他方で、子どもたちが、一人ひとりのいのちの尊厳を大切にするという価値観をしっかり身につけるということは、憲法改正によって実現されるものではなく、憲法に基づく教育そのものの向上があって、なし得ることです。

そこで、二つ目のことが大切になってきます。憲法は、教育を受ける権利とともに、すべての国民に、「その保護する子女に普通教育を受けさせる義務」(26条2項)を定めています。つまり、憲法は、私たち一人ひとりに対して、子どもたちが教育を受け、いのちの尊厳を大切にする人間に育つよう手助けすることを求めているのです。

まさに、「子どもは大人の鏡」と言われます。子どもの非行や犯罪を口にする前に、大人自らが、子どもの手本となり得る自分自身であるのかどうか、大人自身が人間としての品格を磨いているかどうかが問われなければならないのです。この意味では、あらゆるものの「いのちの尊厳」の大切さと、「生かされて生きる」人間の生き方を説く宗教の力は非常に重要となります。

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