平和こそ生活の原点 日本国憲法 コラム――憲法という言葉

第二次世界大戦終戦後の1947年、日本国憲法は施行されました。憲法は「法の中の法」「決まりの中の決まり」ともいわれるもので、私たち一人ひとりの自由や権利を守り、その人生や生活を支えています。

憲法とはどのようなものなのか、日本国憲法はいのちの尊さ、平和、信仰といったことをどのように考えているのか、どうして憲法の改正には国民投票が必要なのか――。憲法についていろいろ議論が起きている中、私たちはこうしたことをしっかりと学んでおく必要があります。今回は、憲法という言葉の成り立ちについて考えます。

憲法という言葉

今日、憲法という言葉には、国民の人権を保障し、国家の基本構造を定める基本法という意味がありますが、この言葉自体は、どこから来たのでしょうか。

そもそも「憲法」という文字は、古代中国の文献にも登場しますが、日本では、『日本書紀』の中に「皇太子親肇作憲法十七篠」(十七条憲法のこと。「皇太子」とは聖徳太子)という記述がみられます。

ただ、十七条憲法は、今日の憲法とは役割が大きく異なります。例えば、その第一条には有名な「以和爲貴」(和を以て貴しと為す)、第二条には「篤敬三寳 三寳者佛法僧也」(篤=あつ=く三宝を敬へ。三宝とは仏・法・僧なり)という言葉がありますが、いずれも当時の貴族・官僚に心構えを訓示したものだったのです。まだ憲法には人権を保障する基本法という意味はありませんでした。

その後、憲法という言葉は一般に用いられなくなります。代わって、特に鎌倉時代以降では、式目(しきもく)・法度(はっと)といった言葉が多く用いられました。

憲法という言葉が再び使われるのが、明治時代です。世界に扉を開いた日本は、欧米諸国では人権を保障し政府の基本構造を定めるという役割をもつ「特別な法」を定め、これに基づいて国政を行う立憲主義が採用されていることを学びました。

多くの人々がその「特別な法」の訳語を考え、国憲、国法、国制、朝綱(ちょうこう)、政規などさまざまなものの中で、「憲法」という言葉が定着していったのです。

もっとも、実際に制定された大日本帝国憲法では、国民主権は採用されず、人権にもさまざまな制限が加えられていました。この憲法について、外見的立憲主義(見かけは立憲主義でも中身は違う)という評価がされるのはこのためです。

第二次世界大戦後に制定された日本国憲法は、名実共に、立憲主義に基づく憲法となりました。「憲法」という言葉の意味の変化に、憲法そのものの発展を見てとることができるでしょう。