平和こそ生活の原点 日本国憲法Q&A(7)――宗教団体が信教の自由を守ろうとするのはなぜ?

第二次世界大戦終戦後の1947年、日本国憲法は施行されました。憲法は「法の中の法」「決まりの中の決まり」ともいわれるもので、私たち一人ひとりの自由や権利を守り、その人生や生活を支えています。

憲法とはどのようなものなのか、日本国憲法はいのちの尊さ、平和、信仰といったことをどのように考えているのか、どうして憲法の改正には国民投票が必要なのか――。憲法についてさまざまな議論が起きている中、私たちはこうしたことをしっかりと学んでおく必要があります。今回は、「信教の自由」がなぜ必要なのか、その歴史的背景とともに考えていきます。

Q7 宗教団体が信教の自由を守ろうとするのはなぜでしょうか?

「信教の自由」というと、「宗教団体と宗教を信じる人のためにあるのだ」と思われている人が多いかもしれません。しかし、憲法が定める「信教の自由」には、もっと深い意味合いがあります。

日本国憲法は20条で、「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」「何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない」「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」と定めています。

このように「信教の自由」では、「信じる自由」と同時に、「誰からも特定の宗教を強制されない」という自由、そして「信仰を持たない」という自由も保障されているのです。

人間の歴史を振り返ると、不幸なことに、宗教の違いによる対立、また特定の信仰を強要されるなどの理由で争いが起こり、たくさんの血が流れました。

ヨーロッパでは、イスラームとキリスト教の対立やカトリックとプロテスタントの対立から何度も戦争が繰り返されましたし、日本でも江戸時代のキリスト教禁圧や大日本帝国憲法下の国家神道以外の宗教への弾圧で、多くの人々が苦しめられました。

そうしたことから、自分自身の宗教や信仰を大切にするとともに、他の人々の信仰も同じように大事にしていこうという考え方が生まれてきたのです。各人がそれぞれの考えに基づいて納得できる宗教を選び、信仰できる自由を権利として認め、制度として守っていこうとするのが「信教の自由」です。この「信教の自由」は基本的人権の要といわれています。

基本的人権の中には、「信教の自由」のほか、「思想・良心の自由」「学問の自由」「結社の自由」「表現の自由」などがあります。これらは、国から制約を受けずに、自由に考え、行動できる権利ということで総称して「自由権」といわれています。

それでは、特に信教の自由が「基本的人権の要」といわれるのは、なぜなのでしょうか。

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