忘れられた日本人――フィリピン残留日本人二世(7) 写真・文 猪俣典弘

太陽光電灯を掲げるシグピットの村人たち。全家庭に明かりが灯り、人々からは大きな喜びの声が上がった

希望の灯火

地域を支える日系人組織を目指して

前回の連載で書きましたが、フィリピン・パラワン島の残留日本人二世は77年を経て再結集し、2022年にパラワン日系人会を創立しました。侵略者の末裔(まつえい)として烙印(らくいん)を押され、長い沈黙を強いられた後、再び日系人としてのアイデンティティーを掲げて集まったのは、負の歴史を塗り替え、新しい時代を切り開きたいという切実な願いがあったからこそ。そのためには、地域に貢献できる日系人組織として活動したい――そうした強い意志を感じさせるスタートでした。

昨年8月の第1回総会で、太陽光電灯のワークショップが開催されました。この時、参加したメンバーから、「この技術を使って、島で最も電気の届いていない地域を支えたい」という声が上がったのも、そうした思いがあってのことです。廃材を活用した太陽光発電装置を普及するフィリピンのNGOリッター・オブ・ライトと議論を重ね、残留日本人二世である原田ロサリナさんと家族の住むシグピット村がプロジェクト実施の地に選ばれました。

発電機を持つのはわずか5世帯

シグピット村

シグピット村は人口約800人の小さな集落で、その2割を日系人家族が占めます。パラワン島北部に位置し、マニラまでは車で4時間、さらに船で1時間ほどの道のりです。離れ小島ではないのですが、陸路でのアクセスはなく、住民の移動はもっぱら小型漁船です。彼らのほとんどは漁師と船大工で、海岸線沿いに家を張り出し、海上で生活しています。集落には電気が通っておらず、150世帯のうち5世帯だけが家庭用の発電機を所有しています。

隣町から赴任した小学校の先生によると、約120人いる生徒のほとんどが家庭で電気を使えず、夜に自宅で勉強するのは難しいとのこと。灯油ランプはありますが、油の購入は家計をひどく圧迫する上、光が非常に弱いです。また、小さな部屋で寄り添って寝ている子供がランプを蹴って火事になることもあるそうで、できれば使用したくないと言います。トイレが屋外にある家も多く、夜間の安定した明かりは村人たちの悲願でありました。

フィリピンの電力事情と「リッター・オブ・ライト」

現在、フィリピンは高度経済成長のさなかです。しかし、貧富の格差は依然として大きく、電気にアクセスできない人は人口の約4分の1にあたる3000万人と推定されます。電力問題は大きな社会課題で、都市部でもしばしば停電が起き、離島や山岳地域では送電線すら届いていないのです。加えて、アジアの中でも上位といわれるほど電気代が高騰しており、貧困に取り残された人々が安定した電力を手に入れるのは極めて難しい状況です。

太陽光電灯の組み立てを学ぶ村人たち

こうした中、2011年に設立されたリッター・オブ・ライトは、ペットボトルの廃材を使い、小さなソーラーパネルとLEDライト、バッテリーを組み合わせたシンプルな照明装置を作り、電気のない地域に明かりを届けてきました。このライトは、廃材をリサイクルし、配線や組み立てが非常に簡単で、代替部品を町の電気店で購入できます。その上、壊れにくいことなどから、開発や発展から取り残されつつある地域でも利用しやすい技術として注目されています。

これを知ったパラワン日系人会は、活動のスタートを切るプロジェクトにふさわしいと考え、地元に照明技術を普及させようと立ち上がったのです。

六つの港を経由して、桟橋に届いた「願い」

村に設置された街灯。太陽光で充電され、村の夜を明るく照らす

プロジェクトの実施にあたり、アジア生協協力基金、IKEAフィリピンから165本の太陽光電灯がパラワン日系人会に寄贈されました。これらは、日系人会を通してシグピット村の全家庭に一つ一つ手渡されました。さらに、太陽が沈むと漆黒の闇が覆っていた村の道路に、4本の街路灯が設置されました。太陽光がエネルギーとなり、夜の村を明るく照らし出したのです。

この電灯がシグピット村にたどり着くまでは困難の連続でした。マニラの女子刑務所で服役者によって組み立てられたものの、積み込みが予定より2日遅れた上、コロナ禍でパラワン島への船が減便。バッテリーが搭載されているため空輸もできず、陸路と、海路で六つの港を経てようやくシグピット村に届いたのです。

村の小さな桟橋には、ライトを待つ村人たちが集まっていました。船が沖合に姿を現した時、大きな歓声が上がったのは忘れがたい光景です。綱渡りの輸送を手配したマニラのスタッフは、心労で体重が一気に減ったと言います。さまざまなマンパワーに助けられ、無事に着荷したことに改めてフィリピン社会の底力を感じます。

村を照らしたのは日系人社会の希望の光

太陽光電灯を手にして喜ぶ村人

現在、村では全家庭に明かりが灯(とも)り、街灯の下でバスケットボールを楽しむ子供たちの歓声も聞こえてきます。太陽光電灯が届けられるきっかけとなった原田さん一家は「ライトが届いたこと以上に、私たちを覚えてくれていたことが最大の喜びだ」と語りました。

村人からも「灯油ランプの燃料代に悩まなくて済む」(40代女性)、「子供が夜に勉強できる」(子供4人の父親)、「夜道は蛇などが出て怖かった。明るくなり夜も安心して歩ける」(10代女性)、「夜も雑貨屋にお客さんが来てくれるようになった」(50代女性)など、喜びの声が寄せられました。

長くつらい戦後を歩んできたパラワンの日系人が、喜びの声の中心にいることを意義深く感じます。暗黒の戦後がようやく終わり、彼らにとって誇りと喜びに満ちた新しい時代が幕を開けようとしています。

◆フィリピンの日系人集落に明かり(映像提供・共同通信)
https://www.youtube.com/watch?v=dE8Dp3SabpM

プロフィル

いのまた・のりひろ 1969年、神奈川県横浜市生まれ。マニラのアジア社会研究所で社会学を学ぶ。現地NGOとともに農村・漁村で、上総堀りという日本の工法を用いた井戸掘りを行う。卒業後、NGOに勤務。旧ユーゴスラビア、フィリピン、ミャンマーに派遣される。認定NPO法人フィリピン日系人リーガルサポートセンター(PNLSC)代表理事。

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