幸せをむすぶ「こども食堂」
幸せをむすぶ「こども食堂」(11) 文・湯浅誠(認定NPO法人全国こども食堂支援センター・むすびえ理事長)
改めて……こども食堂ってどんなところ?
本連載も残り2回となりました。これまで、こども食堂がどんなところで、コロナ前、コロナ禍においてどんな役割を果たしてきたかを、「多世代交流」「つながり」「災害」といったキーワードを通じて考えてきました。今回と次回で、改めて「こども食堂ってどんなところ?」をみなさんと共有したいと思います。
幸せをむすぶ「こども食堂」(10) 文・湯浅誠(認定NPO法人全国こども食堂支援センター・むすびえ理事長)
宇和島グランマ
前回は、災害と隣り合わせになった私たちの「新しい日常」においては、平時・非常時を問わず人々とつながり続けることが大切で、コロナ禍でのこども食堂の活動はその一つのモデルを示した、というお話をしました。今回は、その事例を愛媛県宇和島市に見てみます。
幸せをむすぶ「こども食堂」(9) 文・湯浅誠(認定NPO法人全国こども食堂支援センター・むすびえ理事長)
災害と「こども食堂」
前回まで、「居場所」は暮らしにとってエッセンシャルなもので、だからこそ、「こども食堂」の人たちはコロナ禍でも活動を続けたし、それを政府・企業含めて多くの人たちが後押ししてくれている、とお伝えしてきました。その行為を一言でいえば、「つながり続ける」ということだとも表現しました。今回は、それを踏まえて、災害との関係を考えてみたいと思います。
幸せをむすぶ「こども食堂」(8) 文・湯浅誠(認定NPO法人全国こども食堂支援センター・むすびえ理事長)
コロナ禍で引き寄せた応援
前回、コロナ禍でこども食堂の「つながり続ける力」が発揮された、と書きました。一堂に集まって会食することが難しくなっても、半数近いこども食堂が弁当配布や食材配布でなんとか人々とつながり続けようとしました。コロナ禍が長引く中でその割合はむしろ増え、今では7割のこども食堂が弁当・食材配布等を行っています。
幸せをむすぶ「こども食堂」(7) 文・湯浅誠(認定NPO法人全国こども食堂支援センター・むすびえ理事長)
何があっても“つながり続ける”
子どもの居場所確保は重要で、「不要不急の会食」とは違う――それが日本政府や専門家の見解だと前回述べました。こども食堂のみなさんは、そのことを体を張って実践してきた人たちです。
幸せをむすぶ「こども食堂」(5) 文・湯浅誠(NPO法人全国こども食堂支援センター・むすびえ理事長)
気持ちを盛る“器”
こども食堂は、子どもを真ん中に置きつつも、地域の多くの住民が多世代で交流するみんなの居場所だとお伝えしてきました。このようなこども食堂がわずかな期間に全国に広がったのは、人々がこうした場を求めていた証(あかし)です。それはこども食堂が、「地域や社会、子どもたちの現状に課題意識を持っている人が、その気持ちを盛るための絶好の“器”になっている」ということでもあります。
幸せをむすぶ「こども食堂」(4) 文・湯浅誠(NPO法人全国こども食堂支援センター・むすびえ理事長)
こども食堂はみんなの居場所
地域のにぎわいをつくる「こども食堂」は、貧困家庭の子にも、「ふつう」の家庭の子にも、すべての子どもにとって意味のある場所だという話をしてきました。しかし、それだけではありません。こども食堂は大人にとっても意味のある場所です。
こども食堂なのに大人が行っていいの? と思う方もおられるかもしれませんが、全国に5000カ所あるこども食堂の8割は、誰が行ってもいい場所で、大人もたくさん参加しています。
幸せをむすぶ「こども食堂」(3) 文・湯浅誠(NPO法人全国こども食堂支援センター・むすびえ理事長)
人との関わりから生まれる“一生ものの言葉”
前回、「コロッケ事件」や「雪の日事件」といったエピソードを通じて、こども食堂が貧困家庭の子に対処している様子をお伝えしました。それは「支援」「対策」と聞いて私たちがイメージするものとは違うけれども、たしかに「支援」「対策」になっている、と言えます。