幸せをむすぶ「こども食堂」(7) 文・湯浅誠(認定NPO法人全国こども食堂支援センター・むすびえ理事長)

画・福井彩乃

何があっても“つながり続ける”

子どもの居場所確保は重要で、「不要不急の会食」とは違う――それが日本政府や専門家の見解だと前回述べました。こども食堂のみなさんは、そのことを体を張って実践してきた人たちです。

去年の2月27日、安倍総理(当時)が週明けからの学校一斉休校要請を発表したとき、私はたまたま全国のこども食堂の人たちとグループLINE(ライン)でやりとりをしていました。最初は、軽いパニック状態でした。「うちの地域はどうなる?」「学校がなくなったら、給食もなくなる。あの子はどうする?」「仕事に行けなくなると、親から電話がかかってきた」……と。あの発表を聞いて、呆然(ぼうぜん)となった人は全国にいたと思いますが、こども食堂の人たちも同じでした。

でも、みなさんの切り替えは早かった。数時間後には「来月は中止にするけど、代わりに食材配布をしようと、スタッフで決めた」といったやりとりが流れ始めました。そして4月に全国アンケートをとってみたら、約半数のこども食堂が、食材や弁当配布に切り替えて、活動を続けていました。「転んでもただでは起きない人たちだ」と、私は素直に感動しました。

ふつう、あの状況下では、活動休止を選んでもおかしくなかった。たとえば私が暮らす地域の自治会は、それまでは回覧板の手渡しにこだわっていましたが、コロナで取りやめとなりました。安否確認を兼ねるものでしたが、今も回覧板は休止中です。安否確認の機会は減りますが、コロナなんだから仕方がない――ふつうはそうなるはずです。でも、こども食堂は休止しませんでした。活動形態を変えてまで続けようとしました。

あるこども食堂の方は、地元スーパーの店長と交渉して駐車場を借り、そこで車に乗ったまま受け取れるドライブスルー方式の弁当配布を行いました。短期間のうちに決断し、交渉し、準備し、感染症対策も徹底して実施するのは大変な作業だったと思いますが、ボランティアばかりのメンバーでそれをやり遂げていました。

また、中には食材配布はできないけど、文通を始めたというこども食堂も現れました。

なぜ、この人たちはこうもがんばるのか……。

そう考えた私の頭に浮かんできたのが「つながり続ける」という言葉でした※。こども食堂のみなさんは、一堂に会する形ができなくなっても、単なる休止にはしない。他の方法を考えて、それまでつながっていた人たちと、なんとかつながり続けようとする人たちでした。「この人たちは、つながり続けるためには何でもするんだな」という印象を持ちました。

つながり続けようとするということは、参加者からすると「待ち続けられる」ということです。何があってもあなたとつながり続けようとします、という姿勢は、自分には待っていてくれる人がいる、自分に目を向けてくれる人がいる、という感覚を育みます。

私たちの社会は、しばらく前から「無縁社会」と呼ばれるようになり、人と人のつながりが薄くなった、実感しづらくなった、と言われるようになりました。その中で「生きづらさ」を抱える人も増えました。こども食堂の人たちは無縁社会の中でつながりをつくってきた人たちです。無縁社会にあらがって、なんとか縁を紡ぎ直そうとしてきた人たちが、コロナに負けずにつながり続けようとしたのは、その意味でこども食堂が何のために生まれ、広がってきたのか、という原点をよく示していました。

※それゆえ筆者の最新刊のタイトルは『つながり続ける こども食堂』です(中央公論新社、2021年6月発刊)

プロフィル

ゆあさ・まこと 1969年、東京都生まれ。東京大学法学部を卒業。社会活動家としてホームレス支援に取り組み、2009年から3年間内閣府参与を務めた。現在、東京大学先端科学技術研究センター特任教授、全国こども食堂支援センター・むすびえ理事長。これまでに、「こども食堂安心・安全プロジェクト」でCampfireAward2018を受賞した。