幸せをむすぶ「こども食堂」(11) 文・湯浅誠(認定NPO法人全国こども食堂支援センター・むすびえ理事長)

画・福井彩乃

改めて……こども食堂ってどんなところ?

本連載も残り2回となりました。これまで、こども食堂がどんなところで、コロナ前、コロナ禍においてどんな役割を果たしてきたかを、「多世代交流」「つながり」「災害」といったキーワードを通じて考えてきました。今回と次回で、改めて「こども食堂ってどんなところ?」をみなさんと共有したいと思います。

  • 夏休みに勉強会を行ったところ、最初は15分ももたなかった子どもたちが、夏休みが終わるころには「もっと勉強したいから、時間を取ってほしい」と言うようになった。先生へのお礼の色紙も自分たちで用意してくれた。
  • 学校には行けず不登校だったが、居場所には毎日来る、という子どもがいた。徐々に自分を取り戻し、中3のときには学校に通い、高校進学のための塾にも通い始めた。高校進学後は生徒会活動にも参加し、その後、専門学校に進学した。その子からのお便り。「ホントに長い間お世話になったので、恩は返しきれないほどあります。居場所でいろんな経験をしたことが、今ではある意味面白いなと感じられるようになりました。これからも居場所の開設、頑張ってほしいと思います。どんな形でも救われる人がいると思うからです」。
  • 日本に長く住む外国籍の方が、もらい火で焼け出されてしまったと民生委員から紹介があったので、食事を提供した。また地域に呼びかけたところ、みなさんが快く協力してくれて、子ども服、おむつ、トイレットペーパーなどを渡すことができ、地域の力を実感した。
  • 精神的な不調で仕事を辞められた方がボランティアとして参加したいと言ってきた。最初は短時間だったが、徐々に長い時間手伝えるようになっていった。「利用者から元気をもらえますね!」と話していたのが印象的だった。再就職できればと思うが、「いつでもおいで。ここはあなたの居場所だよ」というメッセージも同時に伝えていきたい。
  • 母子家庭の4歳の子を、ダブルワークする母親の仕事中にこども食堂でお預かりしていた。母親は「この子は人見知りなんです」と言っていた。クリスマス会のとき、みんなで何か歌おうとなって、高齢の男性がギターで「ビリーブ」という曲を弾いたところ、みんな恥ずかしがってなかなか大きな声が出せない中で、その子がすごく大きな声で歌った。それにつられて他の子も歌うようになった。その後、歌える機会があれば必ず「ビリーブ」を歌うようになり、それが自分たちのこども食堂の歌になった。散会の際に参加者・ボランティアみんなで歌うと、気持ちが一つになり胸にジーンとくる。

最近、全国のこども食堂の方たちから聞いたエピソードです。こども食堂では、日々このような出来事に満ちていて、こども食堂がどのような場所なのかをもっとも雄弁に物語ってくれている、と感じます。

プロフィル

ゆあさ・まこと 1969年、東京都生まれ。東京大学法学部を卒業。社会活動家としてホームレス支援に取り組み、2009年から3年間内閣府参与を務めた。現在、東京大学先端科学技術研究センター特任教授、全国こども食堂支援センター・むすびえ理事長。これまでに、「こども食堂安心・安全プロジェクト」でCampfireAward2018を受賞した。

【あわせて読みたい――関連記事】
幸せをむすぶ「こども食堂」