内藤麻里子の文芸観察(83)

稀代の人気作家、東野圭吾さんが亡くなった。訃報に接した時は愕然(がくぜん)とした。その直後の8月5日、最新刊『永遠の記憶』(文藝春秋)が発売になった。ドラマ化、映画化された人気シリーズ「ガリレオ」の“最後の謎”と銘打たれている。

同シリーズは、天才物理学者・湯川学が不可解な事件の謎を鮮やかに解く活躍を描き、今回がシリーズ11作目に当たる。シリーズ3作目の『容疑者Xの献身』は、2006年の直木賞受賞作だ。湯川のもとに事件を持ち込むのは大学の同窓生である警視庁捜査一課の刑事、草薙俊平だったが、後にその役割を同じく捜査一課の刑事、内海薫が引き継いだ。

『永遠の記憶』は、その内海がスーパーマーケットで刺される衝撃の場面から幕が開く。刺した70歳近い男は飛び降り自殺を図るが失敗、黙秘を貫く。内海はこの男と面識がない。何のために狙われたのか。

湯川の分析の結果、過去の事件で内海に恨みを抱く年若い藤村紗穂が捜査線上に浮かぶが、犯人である三崎茂久との関係は分からない。捜査の視点変換の鮮やかさに目を奪われ、徐々に明らかになる紗穂と三崎の偶然の邂逅(かいこう)の痛ましさに浸っていると、なんと別の形の復讐(ふくしゅう)が始まるのだ。

一方で湯川と草薙は、三崎の所持品にあったある人物の名前を手がかりに、以前の事件で積み残した謎の真実を追う。

淡々と事件解明の道はつづられていくが、あちこちに惹(ひ)かれる表現がある。例えば紗穂の心理描写だ。彼女の母は殺人事件を起こしたのだが、その母がある男を「殺すことにしたから」と宣言した言葉に救われ、しかしその後の母の振る舞いに「ずるいよママ」という「小さいがダイヤモンドのように硬く、闇のように暗い感情」を抱く。けれど、それらによって紗穂は生かされてもきたのだ。そんな人間の姿が、さらりと描かれているのだからたまらない。

このシリーズには主に科学技術を使ったトリックが主体の短編集と、人間ドラマの要素が大きい長編がある。ことに長編では筆致がクールなので意識しにくいかもしれないが、人間の哀(かな)しみや痛みが深々と迫ってくる。

そして、本書は湯川と、管理官になっている草薙が、表舞台から退場しようとしている“終活”の物語でもある。2部構成で、第1部「履歴(たど)る」、第2部「終活(ふりかえ)る」と命名されている。実は積み残した謎は『容疑者Xの献身』に由来する。よほど東野さんは気になっていたのか。そんなことを考えつつ、堂々たる幕引きにただ瞑目(めいもく)するばかりだ。

プロフィル

ないとう・まりこ 1959年長野県生まれ。慶應義塾大学法学部卒。87年に毎日新聞社入社、宇都宮支局などを経て92年から学芸部に。2000年から文芸を担当する。同社編集委員を務め、19年8月に退社。現在は文芸ジャーナリストとして活動する。毎日新聞でコラム「エンタメ小説今月の推し!」(奇数月第1土曜日朝刊)を連載中。

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