「時代」の声を伝えて――文学がとらえた80年(22)番外編6 文・黒古一夫(文芸評論家)
もう一つの「日本」の可能性を示した歴史に学ぶ
残念ながら、「蝦夷共和国」は1869(明治2)年の「箱館戦争」で、「国家」として自立する前に潰(つい)えてしまった。だが、「蝦夷共和国」のことは、明治藩閥政府とその流れをくむ軍国主義的政権によって長らく「闇」の彼方に隠された。
明らかにされたのは、ようやく、「平和と民主主義」を標榜(ひょうぼう)する戦後になってのことだ。羽仁五郎や井上清らの歴史家によって、北海道にはアイヌ民族をはじめとするイヌイットなどの少数民族が生を営んでいたこととともに、明治維新期の北海道に「もう一つの国家=蝦夷共和国」が実現する可能性について言及された。
つまり、「蝦夷共和国」は、「脱亜入欧」「和魂洋才」をスローガンに、ひたすら「富国強兵」(軍国主義)へと突き進み、その結果、1945(昭和20)年8月15日の「破局」(敗戦)を経験した日本とは違う道があったことを想起させる。現在の「明治150年」とは異なる、「もう一つの歴史」の可能性を私たちに示唆するものだ。今回、取り上げる夏堀正元の書き下ろし長編『蝦夷国まぼろし』(95年)は、「蝦夷共和国」から遡(さかのぼ)ること約250年前が舞台。江戸幕府によって蝦夷地(北海道)の管理と支配を任された松前藩とアイヌ民族、そして江戸幕府による厳しい禁教令(弾圧)から、「金掘りの坑夫」に身をやつして蝦夷地に逃れたキリシタンの三者による「桃源郷=ユートピア」の建設を夢見た若者たちの物語である。