「時代」の声を伝えて――文学がとらえた80年(19) 番外編3 文・黒古一夫(文芸評論家)

画・吉永 昌生

東西冷戦下、「進歩的知識人」の意義申し立て
しかし、湯川秀樹のノーベル物理学賞受賞の翌年の1950年6月25日、朝鮮戦争が始まる。この戦争は、第二次世界大戦(アジア太平洋戦争)の終結から本格化した、世界を二分する「東西冷戦」の象徴であり、占領下の「平和国家」日本も、韓国を支援するアメリカ軍の兵站(へいたん)補給基地として、いや応なく隣国の戦争に巻き込まれていった。

戦後史は、その巻き込まれ方について、「朝鮮戦争特需」として、日本の戦後復興を強力に後押ししたと教える。ただし、同時にそれは、日本が、冷戦の「西側」(アメリカ側)の一員として歩んでいくことを、世界に向けて明らかにすることでもあった。

とはいえ、「平和」や「民主主義」の堅持・醸成という観点から、そんな日本の行く末(未来)に対し、「疑念」や「異議申し立て」を呈する知識人や文学者が、占領期が終わった1950年代半ばから続出するようになった。そのような「進歩的知識人」による、体制への「異議申し立て」は、戦後史における最大の反体制運動といわれる「60年安保闘争」――1960年に最初の改訂が行われた日米安全保障条約に対する大規模な大衆的な反対運動――においてピークを迎える。が、それより少し以前から「明るい未来」を保障するかに見えた「戦後」に「暗い影」が忍び寄ってきていることを、「炭鉱のカナリア」的な鋭敏さで察知した一群の文学者たちがいた。「前衛芸術(アバンギャルド芸術)」の実現を目指して、「夜の会」や「記録芸術の会」に集まった評論家の花田清輝や詩人の関根宏、画家の岡本太郎、作家の野間宏、埴谷雄高、安部公房らである。

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