「時代」の声を伝えて――文学がとらえた80年(17) 番外編1 文・黒古一夫(文芸評論家)

画・吉永 昌生

東日本大震災後の理想郷を追求した創作

そんな「ユートピア」を求める近年の小説の一つが、「3・11」=東日本大震災・フクシマの想像を絶する「被災」を踏まえて書かれた池澤夏樹の『双頭の船』(2013年)である。物語は、瀬戸内海を航行する小さなフェリー「しまなみ8」に乗り込むことになった自転車修理工の「トモヒロ(海津知洋)」を語り手として展開する。200台の中古自転車を乗せた「しまなみ8」は、地震と大津波によって道路が寸断された東日本大震災の各被災地に赴き、トモヒロが整備した自転車を下ろしながら航行を続ける。ところが、そのうち住居も職も家族も奪われた被災者を次々と乗船させるようになり、船名も「さくら丸」と変え、次第に膨張していく。

そして、いつの間にか数千人に膨れ上がった「さくら丸」の乗船者(被災者)たちに対して、船長はある提案をする。それは、乗船者たちが主体となり、「自給自足」を原則とする「生活共同体」を船上につくることであった。こうして、被災者たちがそれぞれ被災前の職業に就き、お互いが利用し合って助け合う生活を構築した「さくら丸」では、被災者同士が結婚したり、自主的に自治会が組織されたりする。被災前の「地域共同体」と全く同じではないが、新たな「生活共同体」として再生するのである。

「さくら丸」船上に実現した、自給自足を基本とする「生活共同体」には、共同体の構成員一人一人が被災の犠牲者(死者)と共に在るという意識を共有している特異性があった。大震災の犠牲となった妻や夫が、あるいは父や母、息子、娘、恋人らは生前と変わらず、「さくら丸」船上の被災者の中では「生きて」おり、その「優しさ」や「慈しみ」と呼応するように、船上では「贅沢(ぜいたく)」を嫌い「共助」を原則とする生活が守られていたのである。

その意味で、この「犠牲者(死者)も生者と共に在る」という設定と「自給自足」を原則とした共同体の建設を目指すというこの作品の内容は、解体しつつある「現実の共同体」を踏まえて、「共同体の再生は可能か」を創作のテーマの一つにしてきた作家・池澤夏樹らしさがよく表れた長編と言うことができる。

【次ページ:自立の道をどう探るか】