「時代」の声を伝えて――文学がとらえた80年(13) 文・黒古一夫(文芸評論家)
「社会的弱者の理想郷」を世に問い続けた大江健三郎
なぜなら、「敗戦」という「大きい悲惨と苦しみの中から再出発」することを誓った、日本人を支えていた根本的なモラルは、「民主主義と不戦の誓い」に集約されるものだったから、現実の世界との相違に愕然(がくぜん)としたと言ったのである。そして、1991年1月17日に始まった「湾岸戦争」において、「日本という国家が、国連をつうじての軍事的な役割で、世界の平和の維持と回復のために積極的でないという、国際的批判」に曝(さら)されたことが象徴するように、戦後50年、そのモラルが今では「あいまい」なものになってしまった、とも言ってのけたのである。
よく知られているように、大江は「60年安保闘争」を総括することを意図した『万延元年のフットボール』(67年)以来、『同時代ゲーム』(79年)、『懐かしい年への手紙』(87年)、『人生の親戚』(89年)、そして『燃えあがる緑の木』三部作(第一部『「救い主」が殴られるまで』93年11月、第2部『揺れ動く<ヴァシレーション>』94年8月、第3部『大いなる日に』95年3月)などの作品において、障害児(者)、子供、老人といった社会的弱者も大人(健常者)と対等平等に暮らすことのできる「根拠地=共同体」の建設は可能か、を問い続けてきた。
戦後の日本(国家)が「経済成長」を最優先させ、「金さえあれば、何でも実現できる」というような玩物喪志(がんぶつそうし)の思想を蔓延(まんえん)させてきた現実を踏まえれば、障害者や子供、老人といった社会的弱者が対等平等に扱われる社会を希求することは、まさに「ユートピア」を眺望することにほかならなかった。ゆえに、文学の社会的役割を考え続けてきたリアリスト(現実主義者)の大江は、『万延元年のフットボール』等の物語における「根拠地(ユートピア)」を、故郷(愛媛県喜多郡内子町大瀬)の山村を擬した「谷間の村」に建設を試みたのであった。ただし、指導者が不慮の事故などによって消えたりして、その建設はことごとく失敗する設定にしていた。