「時代」の声を伝えて――文学がとらえた80年(13) 文・黒古一夫(文芸評論家)

バブル経済崩壊後の荒涼とした風景の中で

1960年代半ばに、その「成功」が明らかになった我が国の高度経済成長政策は、70年代から80年代半ばにかけて、日本を世界有数の「経済大国」へと押し上げることになった。そして、さらに「より豊かな」生活を求めて80年代の後半から「バブル経済期」に突入する。しかし、90年代に入ると「金(カネ)がすべて」といった思想に基づくバブル経済は一挙に崩壊する。

そのバブル経済崩壊後の日本(人)の精神と在り様について、戦後史を視野に入れつつ的確に指摘したのが、川端康成に次いで26年ぶりにノーベル文学賞を受賞した大江健三郎であった。大江は、ノーベル文学賞受賞記念講演「あいまいな日本の私」(94年12月)において、日本が先のアジア太平洋戦争において近隣諸国を侵略し、「平和」を踏みにじった歴史を事実として重く受け止めることの必要を説いた。その上で、現在の日本が戦前のアジア太平洋での理不尽な振る舞いを「反省」することもないままに、今またその技術力と経済力によって新たに「侵略」を行っている、と指摘した。それゆえに、自分は川端のように世界に向かって「美しい日本の私」(ノーベル文学賞記念講演のタイトル)と誇ることはできない、と言明したのである。

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