「時代」の声を伝えて――文学がとらえた80年(7) 文・黒古一夫(文芸評論家)

画・吉永 昌生

沖縄と本土、アメリカとの「差別」的な関係は

大城立裕がこの『カクテル・パーティー』で提示したのは、アメリカと沖縄(日本)との間には厳然とした「差別」があり、沖縄が抱えている問題の根源にこの「差別」が横たわっているのではないかという、強烈な問い掛けであった。

ところで、この小説は、過去のものとなったのだろうか。施政権が返還されてから46年を迎える現在、『カクテル・パーティー』に象徴された「アメリカと沖縄」、さらに「沖縄と本土(ヤマト)」の関係は、果たして変化し、改善されているのだろうか。結論的には、「否」だと私は思っている。

それは、大城立裕に次いで芥川賞を受賞した東峰夫の『オキナワの少年』(72年)や又吉栄喜の『豚の報い』(96年)、目取真俊の『水滴』(97年)などの「沖縄文学」が如実に物語っている。時を経た現代、米兵による事件や米軍による事故、さらに基地をめぐる政治状況を目にすると、「アメリカと沖縄」「沖縄と本土(ヤマト)」の間にある「差別」的関係は、相変わらずだと認識せざるを得ないからである。

プロフィル

くろこ・かずお 1945年、群馬県生まれ。法政大学大学院文学研究科博士課程修了後、筑波大学大学院教授を務める。現在、筑波大学名誉教授で、文芸作品の解説、論考、エッセー、書評の執筆を続ける。著書に『北村透谷論――天空への渇望』(冬樹社)、『原爆とことば――原民喜から林京子まで』(三一書房)、『作家はこのようにして生まれ、大きくなった――大江健三郎伝説』(河出書房新社)、『魂の救済を求めて――文学と宗教との共振』(佼成出版社)など多数。

【あわせて読みたい――関連記事】
「時代」の声を伝えて――文学がとらえた80年