「時代」の声を伝えて――文学がとらえた80年(4) 文・黒古一夫(文芸評論家)
核の脅威を訴える原爆文学
文学者として自分が体験したヒロシマ・ナガサキの惨劇を描いた作品は、『夏の花』以外にもある。女優の吉永小百合が朗読する「原爆詩」で知られる『生ましめんかな』が所収された栗原貞子の詩歌集『黒い卵』(46年)や、正田篠枝の歌集『さんげ』(同)などだ。
さらに、朝日新聞の「1万円懸賞小説」に『桜の国』(40年)が一等入選して流行作家となっていた大田洋子も、東京から広島の妹宅に疎開していて被爆し、「いつ死ぬかもわからない」原爆症に怯(おび)えながら『屍の街』(48年 削除版 完全本は50年)を発表する。
以後、ヒロシマ・ナガサキの体験を基にした原爆文学は、よく知られた井伏鱒二の『黒い雨』(65年)や林京子の『祭りの場』(75年)など数多く書かれ、戦後文学史の一角を形成するようになる。これらの原爆文学は、明確に「反核」の意思を底意に持つものであった。
加えて、これまで書き継がれてきた原爆文学が私たちに教えてくれるのは、1945年8月6日・9日以降の私たちの生が「核」という「人類の未来を閉ざす」危険極まりない火薬庫の上にあるという厳然たる事実である。つまり、「核と人類は共存できない」という思想の正当性を『夏の花』から始まる原爆文学は訴え続けてきたということである。