「時代」の声を伝えて――文学がとらえた80年(2) 文・黒古一夫(文芸評論家)
文学の世界にも大きな影響
つまり、1979年のアメリカ・スリーマイル島原発の事故、1986年の旧ソ連チェルノブイリ原発の大事故が、何を意味していたか、私たちは愚かにもそれに気づかなかったのである。また、フクシマは「原発は安価な安全でクリーンなエネルギー源」という喧伝されてきた従来の考え方の「嘘(うそ)」を暴き、同時に核存在(原発・核兵器)が人類の未来を「閉ざす」存在であることを明らかにしたということでもある。
その意味で、フクシマが起こって以降、ドイツやスイス、ベルギー、スウェーデンなどが「脱原発」の動きを加速させ、「脱原発・反原発」こそが地球や人類の未来を保障する、との確信の下で自国の行く末を考えようとしているのは、私たち人類がその「賢明さ」を取り戻そうとしている証(あかし)とも考えられる。
そんな「脱原発・反原発」の動きを注視しながら、フクシマと現代文学との関係を見たとき、フクシマ以降に「核」やフクシマに関わる数多くのディストピア小説(絶望的な小説)が書かれていることがわかる。佐藤友哉の『ベッドサイド・マーダーケース』(13年 新潮社)、多和田葉子の『献灯使』(14年 講談社)、北野慶の『亡国記』(15年 現代書館)、桐野夏生の『バラカ』(16年 集英社)、古川日出男の『あるいは修羅の十億年』(同年 集英社)、黒川創の『岩場の上から』(17年 新潮社)等々。他に、昨年亡くなった津島佑子の『ヤマネコ・ドーム』(13年 講談社)も、池澤夏樹の『アトミック・ボックス』(14年 毎日新聞社)も、この系列の中に入れていいかもしれない。