「時代」の声を伝えて――文学がとらえた80年(2) 文・黒古一夫(文芸評論家)
一見「豊か」に見える社会の実相を描く
中でも北野慶の『亡国記』は、原発を経済成長(金儲け)の要と位置付ける保守政権や経済界が要請した「原発再稼働」が、いかに悲惨な結果を生むかを描いた、文字通りのディストピア小説である。物語では、東海地方の再稼働した原発(浜岡原発を擬した)が、フクシマを上回る大爆発を起こす。東京を含む東日本が高濃度の放射能に汚染され、政府はその統治能力を失い、日本全土がアメリカとロシア、中国の管理下(支配下)に置かれ、「日本国」は消滅する。そのため、反原発運動家の妻を失った父と娘は、京都から九州、韓国、ロシア、北欧、アメリカ、カナダを経てオーストラリアにまで「逃亡」を続ける。
この長編からは、寿命が40~50年と言われる原発を稼働し続けると、「いつか」一国が消滅するような事態を招くかもしれない、との作家の「必死の思い=警告」が伝わってくる。この『亡国記』が如実に示しているのは、フクシマの出来事から生まれたディストピア小説が作家の想像力や批判精神(抵抗精神)から発せられた「警世」の声であり、同時にヒロシマ・ナガサキを起点とする今日の核状況を確実に撃つ(批判する)ものとなっていることである。
しかし、なぜ日本社会は、これほどまでに表層の「豊かさ」とは裏腹な「絶望」的で「希望」のない社会になってしまったのだろうか。本連載は、その理由をこの80年間の文学作品に現れた「変化・転換」を手掛かりに探るべく始めるものである。読者の皆さんと一緒に考えたい、と思っている。
プロフィル
くろこ・かずお 1945年、群馬県生まれ。法政大学大学院文学研究科博士課程修了後、筑波大学大学院教授を務める。現在、筑波大学名誉教授で、文芸作品の解説、論考、エッセー、書評の執筆を続ける。著書に『北村透谷論――天空への渇望』(冬樹社)、『原爆とことば――原民喜から林京子まで』(三一書房)、『作家はこのようにして生まれ、大きくなった――大江健三郎伝説』(河出書房新社)、『魂の救済を求めて――文学と宗教との共振』(佼成出版社)など多数。
「時代」の声を伝えて――文学がとらえた80年