「観世音菩薩普門品(かんぜおんぼさつふもんぽん)」に、「慈眼(じげん)をもって衆生(しゅじょう)を視(み)る」という言葉があります。慈悲のまなざしで人びとを見るという、とても大事なことが教えられているわけです。
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ご命日に会員さんの体験説法を聞いていても、離婚寸前までいった話がよくあります。けれども、そういう場合も夫婦のどちらかが、相手の気持ちを酌(く)みとろうと努力するなかで、二人のあいだにあたたかな気持ちの通い合いがとりもどせて、前にもまして幸せな家庭になれたという体験が多いようです。
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人間には「自分が得をしたい」という「煩悩(ぼんのう)」があって、ふだん自分のことに精いっぱいで暮らしていると、人さまのことまで気持ちがまわらないのです。そして、自分一人の力で生きているかのように考えてしまうのです。
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私たちは、日ごろは自分中心の考えをしているようであっても、本来の心である「仏性」のほうでは、「世のため、人のために役立ちたい」と願っているのです。ですから、人さまに喜んでもらえたときは、自分がだれよりもうれしいのです。それは、私たちの本来の心、「仏性」が喜んでいるのです。そして、人さまのためになることを繰り返していくなかで、「仏性」をごく自然に発揮できるようになっていくのです。
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佼成会では昔から、「まず人さま」という言葉を使ってきました。この言葉は、「己を忘れて他を利する」をごく平易に表現したものといえるでしょう。
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人間には、「困っている人を助けたい」と思う慈悲の心もあれば、「人を押しのけてでも幸せになろう」と思う自己本位の心もあります。「法は人によって尊し」といわれます。「法」は、それを信じる人の行ないにあらわれて真価が発揮されるのです。「まず人さま」という心を大きくはぐくみ、人さまのためになる喜びを味わいつつ、まわりの人のお手本となれるよう、「菩薩」としての歩みを続けていただきたいと思います。
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「法師品」の一節に、「衆生(しゅじょう)を愍(あわれ)むが故(ゆえ)に此(こ)の人間(にんげん)に生(しょう)ずるなり」とあります。つまりみなさんは、貪欲や憎悪や嫉妬(しっと)などによって苦しんでいる人たちを哀れと思って、「あの人たちを救いたい」という慈悲心を胸に抱いてこの世に生まれてきたのです。表面の意識では「私は凡夫に過ぎない」と思っていても、法華経に会い得たという事実において、そういう尊い使命をもっていることが保証されているのです。
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自分という存在の根本を見つめることを忘れていると、意義ある人生を送ることができず、「ほんとうの幸せ」をつかむことはできないと、私は思います。
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