私たちは何かにつけて「おれが、おれが」「私が、私が」といって、自分がいなければ何一つできないかのように思いがちですが、果たしてそうでしょうか。大きな目で見ると、みんなで支え合う輪のなかに一人ひとりがいるのです。だれしも、人さまのお陰さまや、ご恩をいただいて生活しているのです。
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人間はだれ一人として、自分だけで生きていけるものではありません。多くの人さまに支えられ、また自分も人さまを支えることによって、人間社会が成り立っているのです。それは自然の成り立ちであり、支え合う関係のなかで、毎日のいとなみがあるのです。
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私が小さいころ、祖父がよく言い聞かせてくれたのは、「世のため、人のために、役立つ人間になるんだぞ」ということでした。人のために役立つ人間が尊いのは確かです。そして、人のために生きることほどありがたく、楽しいことがほかに見当たらないのも確かなことなのです。
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比叡山(ひえいざん)に延暦寺を開いた伝教大師最澄(でんぎょうだいしさいちょう)に、「一身弁(いっしんべん)じ難(がた)く、衆力(しゅうりき)成(じょう)じ易(やす)し」というお言葉があります。大きな仕事を成功させようとすると、自分一人の力では限界があると知らされます。大勢の力を合わせると、それが容易にできるのです。
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私はよく長沼妙佼(みょうこう)先生(脇祖)から、「会長先生のように、人の話をすべて信用していると、いつかだまされて、ひどい目に遭いますよ」といわれました。それでも私は、「だまされてもいい」というのが信条でした。それがその人のためになるならば、「だまされてもいい」という気持ちでした。私をだましたことによって、その人が後味の悪い思いをして反省してくれれば、それによって私も一つ布施(ふせ)の行ないができたことになります。
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ふだんから、なすべきことをきちんと行ない、ごまかしのない正直な気持ちで神仏に合掌すると、神さま仏さまに後押しをしていただけるように思えて、すがすがしい気持ちで過ごせます。
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人生のさまざまな経験を積み、知恵が身についてくると、その経験や知恵が逆に作用し、人に負けまいとしたり、ものごとを自分の思うように運びたいという気持ちが強くなったりして、正直で素直な心をおおい隠してしまうのです。
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日本人の徳目の一つは、正直さだと思います。正直な気持ちでふれあっていると、いつもなごやかに、楽な気持ちで過ごすことができます。反対に、見栄(みえ)や体裁をとりつくろおうとすると、ぎこちなくなって、居心地が悪くなるものです。そんな経験は、だれにもあるのではないでしょうか。
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だれしも、家庭や職場のなかで困難な問題に直面するものですし、また、それを無難に解決できた経験も多いはずです。そんなとき、それを「目に見えない存在の働き」と受けとめることができるでしょうか。私は、そういう大きな力に守られ、導かれていることを確信できる人こそ、この世でいちばん幸せな人であると思います。
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