法華経の「譬諭品」にも、「諸(もろもろ)の患難(げんなん)多(おお)し」と説かれていますが、この世界は困難な問題が次々に起こるようになっています。ですから苦労が多いはずなのに、よくよく自分をふり返ってみると、むしろ恵まれた状態にあることのほうが多いのに気づくことでしょう。
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反省創造しよう
コロナ禍は、人間が真に大切にすべきものは何かを見つめ直す機縁
あけまして、おめでとうございます。
昨年は、新型コロナウイルスの感染が拡(ひろ)がり、日々の生活に大きな影響を及ぼしました。感染によってお亡くなりになった方は、全世界で約百六十万人を数えます。衷心より哀悼の意を表したいと存じます。
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近ごろの人は、よく「自我の確立」ということをいいます。それはいちおうもっともなことかもしれませんが、「素直」というのはそれより、ひとまわりもふたまわりも大きい、いやもっとかぎりなく大きいあり方なのです。
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草花にたとえていえば、現在の自分は茎です。枝葉や花は子どもです。そこになる実は孫であり、その実から曾孫(ひまご)、玄孫(やしゃご)もできるわけです。ところで、わが身である茎の元をたどってみれば、必ず根があります。つまり、ご先祖さまのお陰で自分があるのです。
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聞き上手の人は、相手の話すことの本質に耳を傾けられる人です。相手がこちらのためを思ってほんとうのことをいってくれるのですから、それをまっすぐに聞くとたちまちに、仏さまから大きなご守護がいただけるのです。それが、聞き上手の功徳です。
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「無量義経(むりょうぎきょう)」の「十功徳品(じゅうくどくほん)」に、「愛著(あいじゃく)ある者(もの)には能捨(のうしゃ)の心(こころ)を起(おこ)さしめ」とあります。「能捨」というのは、「能(よ)く捨てる」ということです。さまざまな欲や、自己中心にしがみついていた手をパッと開いて、それまで大事にしていたものを捨ててしまう。こうして、「とらわれ」から解き放たれた人が、菩薩としての喜びをいただけるのです。
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ただ、自分が大安心をもって生きるだけでは、「菩薩」とはいえません。まわりの人たちの幸せを願い、そうした行ないを実践してこそ「菩薩」、すなわち真の在家仏教者といえるのです。
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松尾芭蕉(まつおばしょう)の句に、「よく見れば薺(なずな)花咲く垣根かな」とあります。ふつうの人なら「つまらぬもの」として見過ごしてしまうような草花に、芭蕉は尊い「いのち」を見届けているのです。表面の様子だけを見るのではなく、その奥にある尊いものに、芭蕉は手を合わせているのです。
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私たちは何かにつけて「おれが、おれが」「私が、私が」といって、自分がいなければ何一つできないかのように思いがちですが、果たしてそうでしょうか。大きな目で見ると、みんなで支え合う輪のなかに一人ひとりがいるのです。だれしも、人さまのお陰さまや、ご恩をいただいて生活しているのです。
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