法話

唯仏与仏(46) 立正佼成会 庭野日敬開祖法話

いつもお話しするように、「方便品(ほうべんぽん)」に、「我本誓願(われもとせいがん)を立(た)てて 一切(いっさい)の衆(しゅ)をして 我(わ)が如(ごと)く等(ひと)しくして異(ことな)ることなからしめんと欲(ほっ)しき」というお言葉があります。

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唯仏与仏(45) 立正佼成会 庭野日敬開祖法話

「慈悲」の「慈」は「まわりの人を幸せにしてあげたい」という心で、「悲」は「人の苦しみを抜いてあげたい」という心です。これをわかりやすくいえば、「思いやり」ということになります。苦しんでいる人を見れば「ああ、お気の毒に」と思い、「何とかしてあげたい」と思う心です。そして、その「思いやり」を実践に移すことです。

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唯仏与仏(44) 立正佼成会 庭野日敬開祖法話

秋に実る米も木の実も、自分にそなわる力だけで実るのではなく、太陽の光や大気の作用、地中からの養分や水分などの助けがあって成熟するのです。私たちの信仰も、それと同じです。教会道場に通い、法座に加わり、同信の人びとの精進(しょうじん)ぶりに刺激されて、その体験のすばらしさに励まされるなかで、「よし、私も」という意欲が湧いてくるのです。

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唯仏与仏(43) 立正佼成会 庭野日敬開祖法話

仏の「智慧(ちえ)」とは、いわゆる世渡りのための知恵や才覚ではありません。多くの人を幸せにし、世の中全体を平和に導く、深くて大きな「智慧」です。最近、最高学府を出て大企業のトップに出世した人や、政官界の上層部で活躍した人が、我欲のために失脚するケースが次々に起こっています。そういう人たちは、ほんとうの「智慧」を欠いていたのだというよりほかはありません。

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立正佼成会 庭野日鑛会長 4月の法話から

4月に大聖堂で行われた式典、大阪教会訪問から、庭野日鑛会長の法話を抜粋してまとめました。(文責在編集部)

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唯仏与仏(42) 立正佼成会 庭野日敬開祖法話

一つのことに心を集中することを、「三昧(さんまい)」といいます。読経三昧、唱題三昧などは、在家仏教者にとって「禅定(ぜんじょう)」を得るいちばんの近道です。つまり、朝夕のご供養がしっかりできていれば、ふだんの考え方もだんだんに雑念が少なくなっていくのです。

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唯仏与仏(41) 立正佼成会 庭野日敬開祖法話

野球の選手や相撲の力士といったプロの世界では、一日怠けるとそれをとりもどすのに三日かかるといわれます。進歩には時間がかかりますが、退歩はたちまちやってくるのです。

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唯仏与仏(40) 立正佼成会 庭野日敬開祖法話

人間はもともと「精進(しょうじん)」するようにできているのだ、と私は思っています。というのは、怠けていると何となく心地が悪いからです。気がとがめるというか、一種の罪悪感におそわれます。反対に、仕事に励んでいるときは、何ともいえない喜びを味わいます。生きがいのようなものが湧いてきて、ますます気が勇んできます。これは、人間の意識の底にある本性がそうさせるのです。

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立正佼成会 庭野日鑛会長 3月の法話から

3月に大聖堂で行われた式典から、庭野日鑛会長の法話を抜粋してまとめました。(文責在編集部)

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唯仏与仏(39) 立正佼成会 庭野日敬開祖法話

北風と太陽が、荒野を旅する人のマントを剝(は)ぎとる力くらべをしたイソップ寓話(ぐうわ)は有名です。まず、北風がビュービュー吹きつけると、旅人はますますマントをしっかり身に巻きつけました。次に、太陽があたたかい光を送ると、旅人はすぐマントを脱いでしまいました。これなのです。柔和なあたたかい心情こそが、相手の気持ちをやわらげ、敵意の鎧(よろい)を脱がしてしまうのです。

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