法話

立正佼成会 庭野日鑛会長 8月の法話から

8月に行われた大聖堂での式典と波木井山円実寺での「第七百三十六回波木井山川施餓鬼法要」から、庭野日鑛会長の法話を抜粋してまとめました。(文責在編集部)

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唯仏与仏(14) 立正佼成会 庭野日敬開祖法話

たとえば、きついことをいってくる人は嫌いな人と片づけがちですが、そのきつい言葉が、自分では気づけない欠点や短所を教えてくれるお師匠さんなのです。そこで、まず自分の考え方を変える努力をする。そうして自分が変わっていくと、ひとりでに相手も変わってくるものです。これは、私が何十万という会員さんに接した経験から、太鼓判を押していえることです。

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唯仏与仏(13) 立正佼成会 庭野日敬開祖法話

私たちは自分が幸せなときに、「仏さまに守護されている」「仏さまに生かされている」と思いますが、そうではありません。
思わぬ大病をした、家族が交通事故に遭(あ)った、会社が倒産したというようなとき、私たちは仏さまに見放されたような思いになりがちです。ところが、そういうときこそ、仏さまが救いの手をさしのべてくださっているときなのです。

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唯仏与仏(12) 立正佼成会 庭野日敬開祖法話

いまの人たちは、自己本位で自分の利益しか考えないといわれますが、それは世のため、人のために働く喜びを味わったことがないためでしょう。困っている人の手助けをしたり、悩んでいる人の相談にのってあげたりして、相手に感謝されたときの喜びというのは、ほんとうにうれしいものです。そういう意味では、人さまに喜んでもらえることを実践していくことが、自分が幸せになる早道であるといえるでしょう。

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立正佼成会 庭野日鑛会長 7月の法話から

7月に行われた大聖堂での式典から、庭野日鑛会長の法話を抜粋してまとめました。(文責在編集部)

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唯仏与仏(11) 立正佼成会 庭野日敬開祖法話

みなさんがいま、仏さまの教えに出会い、仏道に精進(しょうじん)されているのは、前世において仏さまとのご縁があったからなのです。それだけの「徳」を積んだ人なのです。どうか、そのことを心の底にかみしめていただきたいものです。そうすれば、「仏さまがいつもそばにいて、見守ってくださっている」という、何ともいえない安心感をおぼえるに相違ありません。

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唯仏与仏(10) 立正佼成会 庭野日敬開祖法話

禅の言葉に「一寸(いっすん)座れば一寸の仏」というものがあります。線香が一寸燃える時間だけの坐禅をしても、そのぶんだけは仏の心でいられる、というのです。

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唯仏与仏(9) 立正佼成会 庭野日敬開祖法話

私が朝、大聖堂に着くと、その日のお当番の会員さんが迎えてくださいます。なかには、幼稚園ほどの小さな子もいます。頭をなでて「きょうはお当番に来てくれたの。しっかりやってね」と声をかけると、「うん」と大きくうなずいて、お手伝いをするぞという顔つきに変わります。それだけのふれあいでも、その子の心のなかに「大事な役なのだ」という自覚が芽ばえると思うのです。

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立正佼成会 庭野日鑛会長 6月の法話から

6月に行われた大聖堂での式典から、庭野日鑛会長の法話を抜粋してまとめました。(文責在編集部)

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唯仏与仏(8) 立正佼成会 庭野日敬開祖法話

仏さまの智慧(ちえ)と慈悲をいただくきっかけが、「苦」であることもあります。

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