5月に行われた大聖堂での式典と、宇和島教会の訪問から、庭野日鑛会長の法話を抜粋してまとめました。(文責在編集部)
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いつもお話しするように、「方便品(ほうべんぽん)」に、「我本誓願(われもとせいがん)を立(た)てて 一切(いっさい)の衆(しゅ)をして 我(わ)が如(ごと)く等(ひと)しくして異(ことな)ることなからしめんと欲(ほっ)しき」というお言葉があります。
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「慈悲」の「慈」は「まわりの人を幸せにしてあげたい」という心で、「悲」は「人の苦しみを抜いてあげたい」という心です。これをわかりやすくいえば、「思いやり」ということになります。苦しんでいる人を見れば「ああ、お気の毒に」と思い、「何とかしてあげたい」と思う心です。そして、その「思いやり」を実践に移すことです。
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秋に実る米も木の実も、自分にそなわる力だけで実るのではなく、太陽の光や大気の作用、地中からの養分や水分などの助けがあって成熟するのです。私たちの信仰も、それと同じです。教会道場に通い、法座に加わり、同信の人びとの精進(しょうじん)ぶりに刺激されて、その体験のすばらしさに励まされるなかで、「よし、私も」という意欲が湧いてくるのです。
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仏の「智慧(ちえ)」とは、いわゆる世渡りのための知恵や才覚ではありません。多くの人を幸せにし、世の中全体を平和に導く、深くて大きな「智慧」です。最近、最高学府を出て大企業のトップに出世した人や、政官界の上層部で活躍した人が、我欲のために失脚するケースが次々に起こっています。そういう人たちは、ほんとうの「智慧」を欠いていたのだというよりほかはありません。
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