立正佼成会 庭野日鑛会長 12月の法話から

12月に大聖堂で行われた式典から、庭野日鑛会長の法話を抜粋してまとめました。(文責在編集部)

いつも新たな気持ちで

私たちの修行や信仰は、自身が老朽化しない、あるいは若朽(じゃっきゅう)化しないためのものと言えます。「若朽」とは、「老朽」の反対の意を表す造語で、若くて、働き盛りなのに役に立たないことです。そういう若朽や老朽を防ぐのが修養です。

修養とは、私たちにとっての仏道精進であり、生きる限り続けるものです。信仰も、ある年齢が来たら、それでおしまいというものではありません。「精進、精進、死ぬまで精進、生まれ変わったらまた精進」と言われるように、尽きることなく、いつまでも精進する、精進し続けるということです。

一般的には、年を取ると、老いて朽ちると考えがちです。しかし、老朽化を防いで、いつも新たな気持ちで日々を過ごしていく――それが修養であり、修行であり、信仰であると思います。修養、修行、信仰をどんどん続けていくことによって、私たちの一生が意義あるものになっていくのです。
(12月1日)

逆境の経験が

人間は、物事がうまくいっている順境な時には、なかなか感謝ができない、感謝を知らないという傾向があります。逆境に揉(も)まれ、苦しんで、何とか解決すると、そこで初めて「本当に有り難い」と感謝のできる人間に生まれ変わることができます。

私たちは、痛い目に遭うという経験をして初めて、人間として大きく成長し、感謝の心も育むことができるのですから、逆境も、有り難いものに変化します。もちろん、順境も有り難いことに違いありませんが、逆境こそ、私たちが進化、成長する、とても大切なものなのです。

雨が降っても有り難い。風が吹いても有り難い。人に会うのも有り難い。そのような感謝ができることが、本当に大切だとつくづくと感じます。
(12月1日)

相手の長所を見つける

人間とは、「人」と「人」の「間」と書きます。それは、つまり社会生活を営んでいるということです。そうした中で、他の人の欠点を見つけるのは、誰にでもできるのですが、良いところ、長所を見つけるのは、なかなか難しいことです。自分中心で人を見ていますから、「あの人はあんなことをしている」「あんな嫌(いや)なことをする人」というように、自分の目がつい外に向いてしまいます。外のことは窺(うかが)えても、自分の内面、心を見つめることは、とても難しいわけです。

自分には及(およ)び難(がた)い長所を他の人に発見できる人は、やはりいろいろな苦労をしたことで、そうしたことが見えてくる、発見することができるのだと思います。人間社会で生きていく上において、人の欠点を見つけることよりも、まず人の長所、良いところを見つけられる人間になる――このことは、私たちが修養する、信仰する大切さの中に含まれています。自分が接するあらゆる人々の中に美点、長所を発見して、それを心から尊敬し、見習っていくことが、私たちの本来の修養であり、信仰です。
(12月1日)

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