私はよく長沼妙佼(みょうこう)先生(脇祖)から、「会長先生のように、人の話をすべて信用していると、いつかだまされて、ひどい目に遭いますよ」といわれました。それでも私は、「だまされてもいい」というのが信条でした。それがその人のためになるならば、「だまされてもいい」という気持ちでした。私をだましたことによって、その人が後味の悪い思いをして反省してくれれば、それによって私も一つ布施(ふせ)の行ないができたことになります。
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ふだんから、なすべきことをきちんと行ない、ごまかしのない正直な気持ちで神仏に合掌すると、神さま仏さまに後押しをしていただけるように思えて、すがすがしい気持ちで過ごせます。
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人生のさまざまな経験を積み、知恵が身についてくると、その経験や知恵が逆に作用し、人に負けまいとしたり、ものごとを自分の思うように運びたいという気持ちが強くなったりして、正直で素直な心をおおい隠してしまうのです。
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日本人の徳目の一つは、正直さだと思います。正直な気持ちでふれあっていると、いつもなごやかに、楽な気持ちで過ごすことができます。反対に、見栄(みえ)や体裁をとりつくろおうとすると、ぎこちなくなって、居心地が悪くなるものです。そんな経験は、だれにもあるのではないでしょうか。
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だれしも、家庭や職場のなかで困難な問題に直面するものですし、また、それを無難に解決できた経験も多いはずです。そんなとき、それを「目に見えない存在の働き」と受けとめることができるでしょうか。私は、そういう大きな力に守られ、導かれていることを確信できる人こそ、この世でいちばん幸せな人であると思います。
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尋常(つね日ごろをたずねる)
WCRPが創設から五十年の節目 開祖さまの願いを顧み、深い感慨
「令和」の時代に入り、初めての新年を迎えました。それぞれ、心に期すものがあるのではないかと思います。
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