バチカンから見た世界(122) 文・宮平宏(本紙バチカン支局長)

8月21日、モスクワ近郊で、プーチン大統領が主張する「一大ロシア」という地政学的説話の「頭脳」と一時呼ばれていたアレクサンドル・ドゥーギン氏の娘・ダリヤ氏が、車に仕掛けられた爆弾で殺害される事件が起きた。ドゥーギン氏は、極右の思想家、反欧米主義者であり、ユーラシア大陸にまたがる「一大ロシア国家至上主義」を標榜(ひょうぼう)する「新ユーラシア主義」と呼ばれるイデオロギーの提唱者である。娘のダリヤ氏も、「ロシアと欧米間における文明の衝突」を主張していた。ロシア国内では、ダリヤ氏の車に仕掛けられた爆弾は父親を標的としたものと信じられている。

欧州大陸を舞台に展開されていくロシアとEU諸国間での「文明の衝突」を背景に、ナンシー・ペロシ米国下院議長の訪台に軍事演習で応酬した中国国防省は17日、ロシアがシベリアを中心とする極東地域で実施する合同軍事演習「ボストーク2022」に参加することを公表した。中国側は、インド、ベラルーシ、タジキスタンなども参加する同軍事演習への参加が、「現在の国際・地域情勢とは無関係」であると強調。この中ロを主軸とする合同軍事演習に対し、日本、米国、英国、フランス、ドイツ、オランダ、ニュージーランド、韓国、カナダ、アラブ首長国連邦、インド、タイ、マレーシア、フィリピンなど計17カ国は19日、オーストラリア空軍が主催する軍事演習「ピッチブラック」に参加するかたちで応えている。

ロシア正教会のキリル総主教とプーチン大統領は、今も、ウクライナ侵攻を正当化するイデオロギーの原則を説き続けている。同総主教はこのほど、サンクトペテルブルクでの宗教儀式で、「欧米の世俗化した消費主義的イデオロギーの押し付ける、“罪の蔓延(まんえん)”という迫害に抗していくように」と警告した。また、欧米文明の退廃の原因は、「個人の選択に絶対的な価値を与える“現代の自由主義”にある」と批判。欧米の映画や文学が主張する「罪深き誘惑」を避け、「神の掟(おきて)を遵守(じゅんしゅ)し、政治、経済、科学といった、あらゆる分野で信仰を告白していく」ことが重要であると訴えた。

プーチン大統領も、モスクワで行われた「第10回安全保障会議」の中で、「欧米というブロックが世界に強要する“新自由主義の独裁”を非難する」「欧米のエリートたちは、この新自由主義という覇権を、あらゆる方法で保持しようと試みている。だが、ロシアのウクライナ侵攻によって世界秩序に新しい時期が到来し、その覇権が彼らの手中から離れつつある」と主張する。

新しい軍事パートナー(フィンランドとスウェーデン)の加盟によって欧州の安全保障強化を試みながらも、全く反対の効果を生みつつある「欧米集団(NATO)の新植民地主義」。そこからの解放を訴えるプーチン大統領――現行のロシア政権が挑むのは、ロシア正教会が説く、ロシア人のアイデンティティーを構成する古来の伝統的価値観を基盤とし、欧米の標榜する民主主議、自由、人権といった価値観との対立のみならず、「欧米文明とロシア文明間の衝突」を主張することなのだ。そして、退廃した欧米文明のロシア世界(ウクライナ)への浸透を防ぐために、ウクライナでの特別軍事作戦は必要だったのだ。

ポーランド人で、東西冷戦の象徴だった「ベルリンの壁」崩壊の立役者であったローマ教皇ヨハネ・パウロ二世は、「ウラル山脈から大西洋に至る欧州(ユーラシア)の基盤はキリスト教」というビジョンを提唱したが、東西冷戦の終焉(しゅうえん)を告げた当時の世界は、もう遠い昔のものとなってしまった。