気づきを楽しむ――タイの大地で深呼吸(48) 写真・文 浦崎雅代(翻訳家)

「今日は何か役に立つ良いことはできたかな?」 おやすみ前の親子の3分間対話

最近、息子の成長が著しい。今年7歳になる息子は、小学校には行かずホームスクーリングで学んでいることは紹介させて頂いてきた。自然豊かな環境、両親がフリーランスでほぼいつも一緒にいられるという利点を生かし、息子が興味を持った分野を学んでいく姿をじっくり見守っていきたいと願って実践している。

ここ数カ月間、息子の言動を見ていて、社会性をどんどん身につけていると感じる。小学校という集団生活を体験しないと社会性は身につかないのではないか、というわずかな不安があった。しかし、彼の行動を観察していると、たとえ学校という場でなくても、成長とともに社会は広がり、心が開かれていくのだと分かる。

そう感じたことの一つは、門番の仕事をする息子を見た時だ。現在、新型コロナウイルスの感染防止のため、私たち家族が住むアシュラム(瞑想=めいそう=修行場)は、外からの訪問者に対していくつかの制限をかけている。以前は門がなく誰でも自由に入れたのだが、昨年、竹製の門を作って、人や車の出入りを確認するようになった。

この門ができた時、息子はとても喜んで、開け閉めの手伝いを始めた。車が大好きな息子は、車に関わることができてうれしかったようだ。ただ、それは遊び感覚だった。自分の気が向いた時だけして、気が向かない時はしない。そんな感じである。子供のことだから、まあそんなもんだと思いながら、私は見ていた。

その後、タイでは感染が抑え込まれたので、再び門は開けたままになった。しかし、今年に入り、タイでも感染者が増え始めると、門を使うことになり、息子はまた門番をするようになった。

ある日、門番をしていた息子は急にトイレに行きたくなったようで、夫にこう告げてトイレに駆け込んだ。「お父さん、僕がいない間、ちゃんと門を見ていてね」と。この発言に、私は彼の成長を感じた。〈楽しそうだから、してみたい〉とか〈好きだから、今はする〉といった意識から〈自分の役割を果たす〉という方向に変化したように感じられたからだ。門番という“役割”をちゃんと理解したのかもしれない。

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