気づきを楽しむ――タイの大地で深呼吸(45) 写真・文 浦崎雅代(翻訳家)

食事が済むと、いよいよ僧衣を捧げる儀式だ。まず、僧侶と在家者全員が皆で集まって読経し、その後、アシュラムのリーダー僧であるスティサート師が説法を行った。その説法から、心に残ったメッセージをお届けしたい。

「今日お越しくださった皆さんは、多くがもう顔なじみですね。毎年来てくださっている方もいます。今年初めて来られた方もいらっしゃることでしょう。いずれにせよ、私たちは皆、法の親戚です。血がつながっている親戚には、数に限りがありますね。なぜなら、同じ血筋を持つ人しか親戚ではないとされるからです。現代ではなおのこと、子供の数が少なくなっていますから、なおさら親戚の数が少なくなりつつあります。しかし、法の親戚というのは制限がありません。

食事の後、在家者が僧侶に僧衣を捧げる儀式が行われる

(私の師匠である)故カムキエン・スワンノー師は、お寺に来られる方々にこのようにおっしゃっておられました。『私たちに、知らない人はいないのです。いるのは、今日初めて会う親戚なのです』と。たとえ今日初めて会った人であっても、もし私たちの心が法に沿っていれば、出会う人は皆、法の親戚になるのです。ですから、今日ここに集う皆さまは、みんな法の兄弟姉妹であり、親戚同士なんですよ」

法の親戚。これは、仏教徒だからとか、同じ信仰や信条を持つから、という狭い範囲を指すものではない。「知らない人はおらず、初めて会う親戚しかいない」とは、なんと含蓄のある言葉であろうか。この人は知らない人、という意識で他者に接するのと、この人は初めて出会う親戚なのだという意識を持って他者に接すること。ほんのちょっとの違いであるが、たとえ血はつながっていなくても、こちらから心を開いて善き出会い、善き縁を紡ぐヒントになる言葉だと思う。今日新しく顔を合わせた人も、これまで会うチャンスがなかっただけの法の親戚。そうした意識を持って、一つ一つの出会いを大切にしていきたい。

プロフィル

うらさき・まさよ 翻訳家。1972年、沖縄県生まれ。東京工業大学大学院博士課程修了。大学在学中からタイ仏教や開発僧について研究し、その後、タイのチュラロンコン大学に留学した。現在はタイ東北部ナコンラーチャシーマー県にある瞑想修行場「ウィリヤダンマ・アシュラム」(旧ライトハウス)でタイ人の夫と息子の3人で生活している。note(https://note.mu/urasakimasayo)にて毎朝タイ仏教の説法を翻訳し発信している。