ミンダナオに吹く風(25) ピキットの丘にある要塞跡で 写真・文 松居友(ミンダナオ子ども図書館代表)

第二次世界大戦でアメリカ軍の爆撃を受け、日本の敗戦が確実になった時、日本人たちは司令部を放棄して広大なリグアサン湿原地帯に逃げた。その後も今に至るまで、モロ族による独立運動は続き、その地域はモロ民族解放戦線(MILF)等の反政府ゲリラの巣窟として恐れられてきた。そこは私たちが活動している場所でもあるが、「イスラームゲリラ」と呼ばれる人々の中には、大戦後に湿原地帯に逃げ込んで生き延びた日本兵の子孫もかなりいて、私たちが集落を訪ねると、非常に言いにくそうに自分が日系人であることを教えてくれる。

病気を治してあげた少女の父親も別れる時に、「私の祖父は日本人で、私には日本人の血が入っているんです」と、そっと私の耳元で語ってくれた。こうした日本とも深い関係を持ったピキットに立正佼成会の皆さんをお連れし、丘の上の要塞跡に立った時のことが忘れられない。石造りの要塞に登って見渡すと目の前に180度広大な大湿原が広がり、遠くフィリピン最高峰のアポ山がこちらを見おろし、その背後に太陽が天空と大湿原に光を注ぎながら沈む時だった。

それはまるで、天の仏が太陽の中に立ち、光の渦となって輝きながら、舞い踊る精霊や天使たちと一緒に、繰り返し続くたくさんの戦争で犠牲になった大人や子どもの魂を呼び寄せているかのようだった。立正佼成会の方々は、思わず手を合わせたまま立ちつくし、時を忘れて拝んでいらっしゃった。その姿が、今でも忘れられずにいる。私の叔父も含めて、不条理な戦争で死んでいった先住民、イスラーム、キリスト教徒。そして、日系人たちの霊に導かれてこの地に来たのだという想いが巡ったものだ。この地でこそ、いつか皆さんとご一緒に、「平和の祈り」を開催して、貧しい子たちに「ゆめポッケ」を配りたいと思っている。

プロフィル

まつい・とも 1953年、東京都生まれ。児童文学者。2003年、フィリピン・ミンダナオ島で、NGO「ミンダナオ子ども図書館」(MCL)を設立。読み語りの活動を中心に、小学校や保育所建設、医療支援、奨学金の付与などを行っている。第3回自由都市・堺 平和貢献賞「奨励賞」を受賞。ミンダナオに関する著書に『手をつなごうよ』(彩流社)、『サンパギータのくびかざり』(今人舎)などがある。近著は『サダムとせかいいち大きなワニ』(今人舎)。