ミンダナオに吹く風(24) 皆さんと開催したい平和の祈り 写真・文 松居友(ミンダナオ子ども図書館代表)

皆さんと開催したい平和の祈り

ミンダナオ子ども図書館(MCL)で毎年行っている「平和の祈り」の祭典は、MCLの学生総会で若者たちが話し合って始めた活動だ。

2008年にイスラーム反政府勢力とフィリピン政府との和平交渉が決裂し、戦争が勃発、80万人を超える避難民が出た。住民の避難生活は1年半にわたり、その間に繰り返し洪水が人々を襲い、避難民はさらに増えて生活は困難を極めた。それを見かねたMCLの奨学生たちは、自発的に救済活動を開始して、活動は1年半以上続いたのだが、その体験を通して子どもたちが感じたのは、「とにかく、戦争だけは嫌!」ということだった。そして、「避難生活を送っている子どもたちがかわいそう! ミンダナオ子ども図書館には、ムスリム(イスラーム教徒)もクリスチャンも先住民もいるけれど、みんな兄弟姉妹で一つの家族だから、みんなで平和の祈りを捧げよう!」という声が上がった。これが「平和の祈り」の祭典を始めるきっかけとなった。

第1回の「平和の祈り」は、本当はイスラーム地域のピキットの丘にある、スペイン時代の要塞(ようさい)跡での開催が望まれた。第二次世界大戦中に日本軍が、ここに司令部を置いた。敗戦と同時に軍人たちは、湿原地帯に逃げてムスリムとなり、今でも日系人として生きている。地下には防空壕(ごう)もあるが、いまだに調査はされていない。この場所で祈りを捧げることをMCLの子どもたちは目指したが、この時は戦争が激しく、初回の「平和の祈り」はここでやることを断念し、ミンダナオ子ども図書館での開催となった。

その後、「ゆめポッケ」の配付を「平和の祈り」とともに行いたいと、佼成会の皆さまからのご要望があり、視察に来られて候補地をご案内した。その時訪れたのが、山岳地帯にあるマノボ族のキアタウ村とピキットの要塞跡、そして巨大な大木のある山の村・マロゴンだった。その後、キアタウ村では、光祥次代会長と会員の親子の方々と、ミンダナオ子ども図書館の子どもたちとで「平和の祈り」を開催することができた。先住民、イスラーム、クリスチャンの祈りに仏教の祈りが加わって、本当に素晴らしい体験となった。

「平和の祈り」を行う候補地はまだたくさんある。ピキットの要塞跡やマロゴン村の山の巨木の下もそうだ。また、キアタウ村からさらに下っていくと、ジャングルを流れる川に出て、見上げると水流は大きな洞窟の中から流れ出ており、岩の洞窟に入っていくと左手の下方に、腰をかがめてやっと入れるような穴が開いている。奥は真っ暗でロープを使わなくては入れない鍾乳洞だそうで、マノボ族の人々の話によると、敗戦で日本兵が最後に逃げ込んで玉砕した場所で、遺骨がたくさん眠っているのだという。マノボの人々は「お化けが出る」と恐れて入らないが、私はいつか遺骨が眠っているという鍾乳洞を調査して、洞窟の前で「平和の祈り」を行いたい。

私の叔父は、大戦中にフィリピンで戦死した。医師でスペイン語も堪能で、フィリピンの人々に愛されたと聞いている。その叔父に導かれているような気がしてならない。

プロフィル

まつい・とも 1953年、東京都生まれ。児童文学者。2003年、フィリピン・ミンダナオ島で、NGO「ミンダナオ子ども図書館」(MCL)を設立。読み語りの活動を中心に、小学校や保育所建設、医療支援、奨学金の付与などを行っている。第3回自由都市・堺 平和貢献賞「奨励賞」を受賞。ミンダナオに関する著書に『手をつなごうよ』(彩流社)、『サンパギータのくびかざり』(今人舎)などがある。近著は『サダムとせかいいち大きなワニ』(今人舎)。