気づきを楽しむ――タイの大地で深呼吸(24) 写真・文 浦崎雅代(翻訳家)

おすそ分けから見える世界――体と心を支えるセーフティーネット

最近、わが家のエンゲル係数が下がっている。買い物は週1~2回。車で30分ほどかけて街のスーパーまで行くのだが、買うのはお肉くらい。かつては楽しみにしていた野菜コーナーに行っても、今はときめかなくなってしまった。

なぜなら、もっと新鮮でおいしい野菜のありかを知ってしまったから。私たちが住むアシュラム(旧ライトハウス)には畑があり、夫やスタッフたちの尽力により、野菜の種類が増えた。毎朝、採れたての野菜を頂くという贅沢(ぜいたく)を味わっている。

大地の恵みと人間の努力によって育った野菜は、日によって出来が違うけれど、たくさん採れた日には「おすそ分け」をする。街には、アシュラムの元オーナーが経営するタイ菓子専門店があり、その従業員さんたちへ新鮮な野菜を届けている。市場で買えば何千円にもなる分量なので、だいぶ助かっているのではないだろうか……。

アシュラムで採れた野菜の数々

私たちは、おすそ分けはするのだけれど、実は多くの方から頂くことも少なくない。その一人がキィアオおじいさん。彼はアシュラムのある、この村で生まれ育った牛飼いで生涯独身。気のいいおじいさんである。おじいさんは牛を連れてアシュラムの前を通って散歩するのが日課で、いつしか夫と仲良くなった。お酒が好きで、たまに酔っぱらっている。いつしか、4歳の息子まで、彼に懐いてしまった。そうしたゆるいやりとりを続けるうちに、彼は、自分の畑で採れたタケノコやトウモロコシなどを分けてくれるようになった。たまに私が「料理に必要なコブミカンの葉っぱ、ないかなあ?」と尋ねると、村のどこからか調達してきてくれる。彼は、村のどこに何が生えていて、誰に言えばもらえるのかを熟知しているのだ。

村の情報は、スマホで検索しても出てこない。そう考えると、キィアオおじいさんが、村のインターネットのような役割を果たしているように思えてくる。一見頼りないが、大いに頼りになる存在。日々顔を合わせ、そうしたやりとりを続け、お互いの信頼が少しずつ育まれる中で、お金を介することなくモノが行き来する経済があることを知った。「おすそ分け経済圏」とでも呼べるかもしれない。

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