ミンダナオに吹く風(21) 日本からの移民 写真・文 松居友(ミンダナオ子ども図書館代表)

ダバオ近郊のミンタル町に、日本人墓地もある。歴史をたどると、第二次世界大戦の前から、ミンダナオにはたくさんの日本人が住んでいた。東南アジアで最も日本人が多く住み着いていたのが、実はミンダナオだった。当時、ミンダナオに渡った日本人の多くは、先住民と結婚して、「アバカ」と呼ばれているマニラ麻の農場を経営していた。九州や沖縄の出身者が多く、マニラ麻でロープを生産する工場もあった。当時の日本からの移民たちは「郷に入っては郷に従え」のことわざ通り、先住民のマノボ族やバゴボ族と結婚して家族を持ち、平和に暮らしていたのだ。

ところが、世界大戦が勃発してから、平和が根底から崩れてしまった。たくさんの日本人が、軍人たちと共にジャングルに逃げてそこで命を失った。何とか生き残った人たちはというと、敗戦後に家族を置いて帰国した人、逆に家族と山に逃げ込んで自分が日本人であることを隠して、先住民として生き延びた人がいる。

ミンダナオと日本の歴史を説明すると、訪問者たちは静かに耳を傾けた。私は続けた。

「そんなわけで、ミンダナオには、日本人の血の混ざった人たちが、今でもたくさん住んでいるんですよ。日系人と呼ばれる人たちです。ミンダナオ子ども図書館の奨学生やスタッフにもいますよ。戸籍で自分に日本人の血が流れていることを証明できる人は、日本国籍を取得できるけれど、先住民になってジャングルで裸同然の暮らしをしてきた日系人の子孫たちには、なかなかそれができないのです。しかし、平和になってから、日系人たちが寄り集まって日系人協会をつくり、日本からの協力も得て、日本語を学べる学校も建てたんです。それが、この学校なんです」

戦後の混乱を経て、日本語学校をつくった日系人。彼らはどんな思いでこの地に学校を建てたのだろうか。

プロフィル

まつい・とも 1953年、東京都生まれ。児童文学者。2003年、フィリピン・ミンダナオ島で、NGO「ミンダナオ子ども図書館」(MCL)を設立。読み語りの活動を中心に、小学校や保育所建設、医療支援、奨学金の付与などを行っている。第3回自由都市・堺 平和貢献賞「奨励賞」を受賞。ミンダナオに関する著書に『手をつなごうよ』(彩流社)、『サンパギータのくびかざり』(今人舎)などがある。近著は『サダムとせかいいち大きなワニ』(今人舎)。