気づきを楽しむ――タイの大地で深呼吸(19) 写真・文 浦崎雅代(翻訳家)

カムキエン師が続けてきた社会的な活動――それらが実を結び、村人の貧困状態の改善、子供たちの保育や教育の提供といった公的なサービスへとつながった実績はある。しかし、全てが師の願い通りだったとは限らない。とりわけ森林保護については、近代化の流れに押されてしまっているのが現状である。それでもカムキエン師は淡々と植林をし、法を伝え、自らの修行にも励んだ。そしてある時、師はこんな質問を受けた。

「これまでご自分がなさってきた活動を、どう評価されていますか?」

師は答えた。

「私のやってきた仕事の多くが、成果を出せずにダメになってしまったと言えるでしょう。でもね、仕事がダメになっても、私がダメになったわけではありませんよ」

カムキエン師(スカトー寺フェイスブックより)

私たちはついつい仕事を自分と一体化させて、仕事がダメだと自分もダメだと思い込んでしまう。師は瞑想修行の中で「はまり込まずに、観(み)る」大切さを説かれたが、それは仕事に対しても同じなのだと私は感じた。果たすべき役割はしっかり淡々と行うが、結果には執着しない。たとえ思い通りの結果にならなくても、自分までダメ人間だとはまり込む必要はないのだ、と自分と仕事とを確実に分けて見ておられたのだった。

仕事こそが生きがいであり、自分の全てであるかのように思う日本人はとても多いだろう。ただ、仕事というのはさまざまな要因が重なり、どんなに頑張っても成果として表れないこともある。だからこそ、師の言葉をかみしめたい。

「仕事がダメになっても、私がダメになったわけではない」――私はこの言葉に何度も助けられた。仕事は大事なものだからこそ、自分自身の存在と一体のものとして考えない仕事観だ。

カムキエン師のあの、爽やか笑顔の秘訣(ひけつ)を垣間見た気がしている。

プロフィル

うらさき・まさよ 翻訳家。1972年、沖縄県生まれ。東京工業大学大学院博士課程修了。大学在学中からタイ仏教や開発僧について研究し、その後タイのチュラロンコン大学に留学した。現在はタイ東北部ナコンラーチャシーマー県でタイ人の夫と息子の3人で生活している。note(https://note.mu/urasakimasayo)にて毎朝タイ仏教の説法を翻訳し発信している。