気づきを楽しむ――タイの大地で深呼吸(13) 写真・文 浦崎雅代(翻訳家)
行としての翻訳――法を伝える楽しさ
翻訳家。これが今の私の肩書である。正確には「タイ仏教翻訳家、通訳」と自己紹介している。肩書というのは仮なるものだけれど、この世で生きていくのに必要なもの。3年前に大学教員の職を辞してから、この肩書を使うようになった。
翻訳を仕事にするくらいだから、言語がよほど好きだと思われるかもしれない。しかし私は、言語学を習得したわけでも、言語が好きなわけでも、タイ語そのものが好きなわけでもない。言語は単なる道具という意識だ。しかし今、タイ語から日本語へのタイ仏教説法の翻訳を毎日欠かさずにしていて、心から楽しんでいる。
なぜタイ仏教の翻訳を仕事にしようと思ったのか。思い起こすと、10年ほど前から書いていたブログにさかのぼる。日々の出来事を書き連ねた雑記のようなブログだが、時折、これは! と思った素晴らしいお坊さまの説法を訳していた。自分の学びのために書いたつもりが、それを楽しみにしてくれている方々がいた。コメントをくれたり、お会いした時に言葉を掛けてくれたり。もっとタイのお坊さまの話を知りたいと応援してくださるのだった。
次第に自分でも、説法を訳す楽しさを感じるようになった。説法自体に力があるので、訳しているだけで私にも悦(よろこ)びが生じてくるのだ。そして大学を辞める前、自分がこれまでやってきたことの棚卸しをしてみた。「自分が好きなこと」「自分にできること」、そして「人から求められていること」の三つが重なる部分がタイ仏教の翻訳・通訳だと気づき、この道で歩んでいこうと決心した。