忘れられた日本人――フィリピン残留日本人二世(11) 写真・文 猪俣典弘

入管施設に収容した外国人への対応、技能実習生に対する人権侵害が頻発する状況は、国連をはじめ、国内外の人権機関から再三にわたり是正勧告を受けています。さらに今月、人権上の問題が世界から指摘されたものとほぼ同じ内容の入管法改正案が成立しました。母国での迫害を逃れた難民申請者に対する日本の姿勢を、周辺の国々は冷静に見ています。

国が内向きになりナショナリズムによる求心力が強まると、諸外国との緊張は容易に高まります。だからこそ、私たちは思慮深くなり、「対立」よりも「対話」で解決策を見いだす姿勢を示し続けなければいけません。

そして、二つの国にルーツを持つ日系人たちの存在は、日本にとって非常に大切なソフトパワーであると再認識させられます。

フィリピンには、多くの残留日本人二世の子孫が暮らしています。各地域の日系人会が行う学校や診療所の設立、慈善活動は、小規模ながら社会で草の根的存在感を発揮しています。こうした活動によってフィリピンの次世代を担う若い親日家が増えており、日系人たちの存在が日本にとって頼もしい「ソフトパワー」であることは間違いありません。

戦後78年が経った今

私は、残留日本人二世の就籍に取り組む中、戦死者の遺族に多く出会いました。彼らは戦中、地獄のような逃避行の末に家族を失ったり、生き別れたりし、望郷の念を抱きながら戦後を生き延びてきたのです。その壮絶な体験を聴くたび、平和な日本に生かされている一人として激しく心を揺さぶられ、「戦争は絶対に繰り返してはならない」と決意を新たにします。軍備増強による抑止力という言葉は、戦争の記憶の前に説得力を失います。

終戦から78年が経過し、戦争体験者、証言者が次々と亡くなっています。戦争の悲惨さ、平和の尊さ、命の大切さを改めてかみしめる時、多くの人々の犠牲の上に今の日本があることを感じます。戦争放棄を規定する日本国憲法に従い、平和を守り続けることが、戦争犠牲者の無念に応え、今を生き、子や孫の世代に将来を引き継ぐ私たちの使命ではないでしょうか。

プロフィル

いのまた・のりひろ 1969年、神奈川県横浜市生まれ。マニラのアジア社会研究所で社会学を学ぶ。現地NGOとともに農村・漁村で、上総堀りという日本の工法を用いた井戸掘りを行う。卒業後、NGOに勤務。旧ユーゴスラビア、フィリピン、ミャンマーに派遣される。認定NPO法人フィリピン日系人リーガルサポートセンター(PNLSC)代表理事。

【あわせて読みたい――関連記事】
忘れられた日本人