利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(62) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

幸福になる方法を教えるポジティブ教育

このために私は「対話型道徳教育」を提唱している。対話型の授業によって、道徳的ジレンマを生徒たちが自ら考えることにより、「善い生き方」を見いだしていくという方法だ。それに加えてもう一つの柱として提案したいのは、この連載で紹介しているポジティブ心理学に基づく教育である。ポジティブ養育と同じように、ポジティブ教育の研究と実践が国際的に進んできたからだ。

その中心は、幸福ないしウェルビーイング(良好な状態)を増進する方法を生徒たちに教えることだ。改めて考えてみれば、これが教育の最大目的であるのは当然と思えるだろう。いくら受験勉強などによって知識を得ても、学校を出てから不幸になってしまったら元も子もない。逆に幸福になる方法が分かっていれば、仮に知識が少なくとも幸せに生きる道は見つけられるし、知識を習得できれば、さらに優れた生き方ができる。

実は、伝統的にはこの方法を知らせることこそが、仏教をはじめとする宗教や倫理の役割だった。ところがそれらが衰退してしまったので、幸せに生きる方法を多くの人々が見失ってしまっている。その結果、不幸の感覚が増え、社会に問題が山積し、政治経済が道を誤り、文明的な危機が生じてしまっているのである。

ポジティブ心理学の柱は、「(1)明るい感情(ポジティブ感情)をはじめとするウェルビーイングの増進(2)美徳や人格的な強みを見いだして活用すること(3)人々の幸せを促進するような、公共的な精神や制度の構築」である。よって、三つ、特に初めの二つを教育現場で教え、生徒たちに習得させることがポジティブ教育の中心である。

海外では、学校全体で先生たちが、この基本原理を学んで、さまざまな科目で活かす試みが行われている。その結果、生徒たちは、精神的な病にかかりにくく、逆境から回復しやすくなり、精神的に安定して健全な心が育まれる傾向があった。さらに学力までも増進する傾向が実証されたのである。

このような学問的成果に基づいて考えれば、教育改革の本命は対話型教育とともにポジティブ教育を導入することである。ポジティブ教育は科学的な心理学に基づいているから、公立学校も含めてあらゆる学校で、必須の最も重要な主題として位置づけ、道徳や公民の授業などではその基礎的なトレーニングが実践的に行われるべきだろう。

この基礎が学校で身につけば、宗教や倫理に触れることによって、さらに高度な生き方が可能になる。これらが協働すれば、間違いなく「善い生き方」が広がり、危機を乗り越えて新しい文明形成の基礎が築かれると期待できるのである。

プロフィル

こばやし・まさや 1963年、東京生まれ。東京大学法学部卒。千葉大学大学院人文社会学研究科教授で、専門は政治哲学、公共哲学、比較政治。米・ハーバード大学のマイケル・サンデル教授と親交があり、NHK「ハーバード白熱教室」の解説を務めた。日本での「対話型講義」の第一人者として知られる。著書に『神社と政治』(角川新書)、『人生も仕事も変える「対話力」――日本人に闘うディベートはいらない』(講談社+α新書)、『対話型講義 原発と正義』(光文社新書)、『日本版白熱教室 サンデルにならって正義を考えよう』(文春新書)など。

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